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ワクワクを日本に届ける仕事。個性を活かしてNYで働く輸入生活雑貨店バイヤー ──Yuriko Honda

ワクワクを日本に届ける仕事。個性を活かしてNYで働く輸入生活雑貨店バイヤー ──Yuriko Honda

ワクワクを日本に届ける仕事。個性を活かしてNYで働く輸入生活雑貨店バイヤー ──Yuriko Honda

今回取材させていただいたのは、友人の紹介で出逢った、ニューヨークでバイヤーとして働くゆりこさん。あの、誰もが知っている人気輸入生活雑貨店、「PLAZA」のバイヤーさんです。
天真爛漫という言葉がピッタリで、とにかく明るく元気な彼女。初めて会ったとは思えないほど、楽しい時間を共有させてもらいました。
彼女にとって人間性を大きく左右させたというカナダでの生活のこと、そして、ニューヨークでバイヤーとして働くに至るまでのことを伺ってきました。

Yuriko Honda

アメリカ合衆国 ニューヨーク 株式会社スタイリングライフ・ホールディングス プラザスタイル カンパニー ニューヨークオフィス バイヤー 千葉県松戸市生まれ。5歳の時、父親の転勤によりカナダへ。日本人学校ではなく現地の子ども達が通う学校に通い、人種や文化が多様な環境の中で育つ。中学2年生で日本に帰国。高校そして大学と進学し、大学ニ年次にはカナダのモントリオールにある大学へ留学。日本企業で働きたいという意思のもと帰国し、同社に入社。現在はバイヤーとしてニューヨークオフィスに勤務し、PLAZAやMINiPLAの店頭に並ぶ商品買い付けを行うなど、現地で話題のモノや情報を中心に、日本に「ワクワク」を届ける仕事をしている。

ダイバーシティが当たり前だったカナダ生活

幼少期から長い期間、カナダで過ごされていたんですね。その時のことから教えてください。

Yuriko Honda(以下、Yuriko):私は千葉県で生まれているんですが、5歳のときに父親の仕事の転勤で、トロントからさらに車で2時間ほどのロンドンという場所で幼少期を過ごしました。14歳で日本に帰国するまで約8年ですね。だから、物心がついた時にはすでにカナダ。今思い返すと、すごく違和感を覚えながら生活をしていたのを覚えています。

違和感というと?

Yuriko:もちろん日本人の両親から生まれているから、見た目は日本人じゃないですか。だけど、カナダで育ってるから、自分はカナダ人という感覚なんです。家族間でのコミュニケーションは日本語なんですが、家を一歩出れば、現地の友達はもちろん同じ日本人であっても英語で会話をしていたし、自分のアイデンティティはどこにあるんだろうって思っていましたね。

今思い返すと、日本で育ったら経験できなかったことをたくさん経験できたカナダ生活だったと思います。

具体的に印象的な出来事はありますか?

Yuriko:とにかく、みんな違うのが当たり前という環境でした。

例えば、日本では知らない人も多いラマダン(※)というイスラム教の文化がすごく身近にありましたよ。体育の授業でたくさん動いて汗だくになっても、彼らは水を飲めないんですね。でも、私を含めて違う宗教の子達は普通に生活しています。

そういった日常生活を通して、みんなそれぞれの文化を持つことがごくごく当たり前であるし、だから考え方も違って当たり前なんだと理解していましたね。

あとは、自分の意見や考えをしっかりと持って伝えること、そして相手を認めることが当たり前にできるようになっていった教育環境でもありました。

どんな環境だったのですか?

Yuriko:幼稚園では「今日はどんな形の机でみんなでお勉強しようか?」なんていった風にクラスが始まるんですね。丸だったり台形だったり、みんなでいつも考えながら楽しく取り組んでいた記憶があります。

小学校に上がると、『show & tell』というクラスが毎週あって、そこでは、自分で何かを持参して、それについてみんなの前でお話しするんです。日本人である私や同じように外国から来た生徒は、現地の子どものように英語が流暢に話せないときもある。そういう時にはみんな話せるまで辛抱強く待ってくれるんですよ。みんな違うということをみんなが理解できているからこそ、すごく寛容だったと思います。

※ラマダン・・・イスラム教徒の義務の一つ。1ヶ月間、日の出から日没まで、「断食(サウム)」として全ての飲食を絶つ。

どちらも持っていること、それが自分らしさ

Yuriko:後々、私の家族はあえて日本人が集まる地区ではない場所で生活することを選んだのだと、両親から聞きました。性格も大きく変わったと。

私は小さい頃、全く意思のない引っ込み思案の子どもだったらしんです。

今のゆりこさんからは、想像がつかない(笑)

Yuriko:でしょ?自分でも信じ難いくらい(笑)カナダで育ったことで大きく変化したみたいで、今では自他共に認めるおしゃべりです(笑)

そういった環境から日本に戻ってからはいかがでしたか?

Yuriko:戻った当初はすごくギャップを感じましたよ。クラスの1人がこうだよねって言ったら、みんなそうだよねって同意する。別にそれが悪いとかではなくて、それまでは色んな意見が飛び交う環境にいたので、戸惑うこともしばしば。その時に初めて、日本と海外の違いを肌で感じました。でも、ありがたいことに友達に恵まれて来たので、戻って来てからも楽しい学生生活を送ることができましたね。

小さい頃は、日本人であることが嫌だと思った時期もあったし、日本に帰ってきてからはどこか外国人のような感覚もあり、自分のアイデンティティをコンプレックスに感じることもありました。

でもいつからか、どちらも合わせ持った人間性は私にとってすごくポジティブな要素なんだと考えられるようになりました。

だったら、この個性を活かせる仕事に就こう。そして、日本企業で日本人として海外に出て行く仕事がしたい。そう思って、今の仕事をしています。

自分のアイデンティティを活かせる場所で

現在のお仕事内容を少し教えてください。

Yuriko:現在は、日本で輸入菓子や雑貨を扱う小売店「PLAZA」「MINiPLA」を運営する会社のニューヨークオフィスに勤務していて、バイヤーとしてこちらで働いています。

なぜこの仕事を目指されたんですか?

Yuriko:14歳でカナダから日本に帰国する時、私、本当は帰って来たくなかったんですよ。いつも一緒に遊んでいた友達には会えなくなるし、大好きな美味しいポテチやチョコレートも食べられなくなっちゃうんでしょ?って(笑)

でも、日本に帰ってきたら、カナダを思い出させてくれる、ワクワクさせてくれる場所があったんです!それが今の「PLAZA」、当時の「ソニープラザ」だったんです。

今でも店舗に行けば、幼少期の楽しかった思い出を思い起こさせてくれる、私にとっては大事な場所です。だから今度は私が誰かをワクワクさせる側に回りたいって、そんな想いで入社しました。

そして、入社当時から言い続けて来たのが、「ニューヨークに行きたい!」ということ。それが、私自身を一番に活かせる場所だって思っていました。

実際にこちらに来てみていかがですか?

Yuriko:海外生活や異文化には慣れているので、私生活での苦労はほとんどありません。ただ、仕事面では、私が中高生だった頃とは時代が違って、店舗に行かなければ海外の商品を手に入れられない時代ではなくなっていますし、情報もすごく早い。そういった部分ではすごく難しさを感じていますし、モノだけではなくてコトにも注目しながら、毎日の生活を送っています。

ある意味、私の「日本人として海外(ニューヨーク)で仕事をする!」という夢は叶っているので、私のアイデンティティを活かしてできることは何だろうか?と、また考えながら次のステップに進めればいいなと思っています。

インタビューを終えて

いつも大事にされている考え方はありますか?と最後に伺ったところ、

「人をジャッジしないようにしています。日本人だったらこうでしょ、カナダ人だったらこうでしょって固定概念で決めつけちゃうのは、その人と向き合っていないことになるなって。あと、自分はこうするのになんでこの人はしないんだろうって思っちゃうのも、すごくイライラするし、なんの解決にもならないですから。そう思ってから、自分とは違う考え方を見つけたり知ったりすることが、だんだんと楽しくなってきましたね。」というゆり子さん。

いろんな場所に住んで、いろんなコミュニティに属してきたから彼女が、彼女らしくいられる秘訣がここにあるように感じられました。

彼女がニューヨークで見つけた「ワクワク」が日本で見られる日を、楽しみにしています。