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東大、東芝を経て劇団を立ち上げ。自らレールを外れた男が手がける「教育と企業経営」へのアプローチ。

東大、東芝を経て劇団を立ち上げ。自らレールを外れた男が手がける「教育と企業経営」へのアプローチ。

東大、東芝を経て劇団を立ち上げ。自らレールを外れた男が手がける「教育と企業経営」へのアプローチ。

ITから製造業まで幅広い業界でコンサルタントとして活躍する松岡さんは、東大卒、東芝というエリートコースを進むも、歌手になるという夢を捨てきれずに脱サラし、劇団「HIROZ」を立ち上げます。今回はその大胆なキャリアチェンジを実行した背景と、その決断から見えてきたものについて、たっぷりお話を伺いました。

松岡 泰之(まつおか やすゆき)

経営コンサルタント 東京大学理学部物理学科を卒業後、東芝で研究開発に従事。25歳で退職し、芸能界を目指す若者のキャリア支援と地方創生をかけ合わせた劇場型テーマパーク「日本元気劇場」と専属劇団「HIROZ」を設立。7年間で50万名以上を動員。その後HIROZを退団し、ベンチャーから一部上場まで様々な企業の組織強化や事業戦略策定などのコンサルティング、高校生向けのキャリア研修などの教育事業で活躍する。自身の知見や経験をより多くの人に届けるため、サーキュレーション社の「プロシェアリング」なども活用し、全国各地で活動を行なっている。

地元ではサラリーマンか公務員か、生きる道は二択だった

東大を卒業して東芝で働かれていた松岡さんが、その後劇団を立ち上げたという経緯がとても気になります。どういった思いからの決断だったのでしょうか。

松岡:かなり遡ってお話をすると、小学5年生のときに夢の中でさだまさしさんに、“俺の歌を歌え”っていうお告げをもらったんです(笑)。それがきっかけで、その日以来音楽をやっていかないと人生に意味がない、というくらい夢中になって歌やピアノ、ギターをやりました。

まさか、さだまさしさんのお告げがきっかけだったとは(笑)

松岡:それから高校3年生の夏まで音楽の道に進みたいと言い続けていましたが、周りにはもちろん反対されて、最終的には先生や親に進路を変えるように言われ、音楽の道は諦めることになります。

僕の地元は兵庫県の片田舎で、音楽の道、まして歌手を目指すなんてことは許されない。就職するなら公務員かサラリーマンか、生きる道は二択みたいな雰囲気がありました。

それで当時、天体望遠鏡で星を見ながらさだまさしを聴くっていうのが僕のライフスタイルだったんですが、音楽がダメなら宇宙物理を勉強しようと理系へ進学し、その延長で東芝に就職しました。

でも東京で何年も過ごすうち、それまで音楽を職業にする選択肢などないと思っていた感覚が一変します。

夢を追っている人がすごくたくさんいる中で「音楽はキャリアになるんじゃないか?」と思った瞬間、会社を辞めて自分の夢だった音楽をやろうと決めました。

キャリアを捨て、エンターテイメント劇団を築き上げる

退職して音楽業界を選ぶことに、不安や迷いはなかったでしょうか。

松岡:もちろんありましたので、最初は両立を目指しました。でも、そもそも10歳の頃から、周囲の期待通りに生きる「まっとうな自分」と、音楽をやりたい「本当の自分」の折り合いをつけられずに来たので、両立しようとすればするほど辛くなってきて、仕事をしながら音楽をやっていくことは自分の中で悪だと思っていたので、両立という選択肢はなかったんです。逃げるような気持ちで会社を辞めました。会社を辞めたことは両親にも言えませんでした。しかも音楽をやるなんて言えば、反対されることは目に見えていたので。

その後、劇団を立ち上げたのはどんな経緯があったのでしょうか?

松岡:会社を辞めて1年間くらいはデモテープを作って事務所に送る日々でした。でもすべて落ち、何か人と違ったことをしないとと考えた結果、起業するかたちで「HIROZ」という劇団を作りました。

どのような劇団だったのでしょうか?

松岡:今でいう、地域密着型のアイドルグループという感じのものです。東京には「世に出たい」という一心で上京して、必死に夢を追っているけれど、なかなか日の目を見ないダンサーや俳優、歌手の卵たちがたくさんいます。

彼ら彼女らと話していると、私がそれまで出会ったどんな人よりもギラギラしていておもしろいんです。そんな人たちを集めて逆に地方に行けば、売れるチャンスがあるかもという発想から立ち上げました。

石川県から出発して、香川県、静岡県、栃木県という道のりでブレイクし、東京に戻ってきたときには劇団のメンバーは100人程に増えて、赤坂BLITZで単独公演をやるくらい大きくなっていました。

僕自身もデビューができて夢が叶ったということもありましたし、劇団の運営を経験していくうちに、事業や組織のマネジメントをする方が向いているなと思い始めたこともあって、劇団を離れてからは、人材育成の会社に入った後、経営コンサルタントとして独立しました。現在は、プロシェアリングといって複数の会社の経営を外部から支援するというちょっと変わった働き方を実践しています。

劇団を立ち上げて運営していた3年間の経験は、今のコンサルティングの仕事のベースにもなっています。

組織経営に必要なのは、スローガンではなくストーリー

劇団でのどういった面が今の仕事に生きているのでしょうか?

松岡:お客さんがいて、役者がいて、演出家がいる、という三つ巴は、顧客がいて、商品やサービスがあって、ビジネスプロデューサーがいる、というビジネスのかたちと全くいっしょです。

たとえば自分がコンサルタントや講師として役者を演じるべきなら、プロデューサーと密にコミュニケーションを取り、お客さんが何を求めているかを考えて演じ、フィードバックをもらって進化し続けないといけない。

また、自分がプロデューサーであれば、顧客が求めていることを最大限把握して、役者である商品やサービスをよりブラッシュアップして、顧客に喜んでもらわないといけない。

僕がやっている研修にまた来たいと思ってもらうこと、お客さんに商品をまた買いたいと思ってもらうことと、「この劇をまた観たい」と思ってもらうこと、これもまったく一緒です。

世の中のビジネスの多くが、自分たちの会社の強みがなんだ、とか自分たちの技術がどうとか、組織がこうとか、自己中心的な会社の論理に落ちているところがすごく多くて、それって劇団でいうと“役者が自分たちの芸に酔っている”状態なんです。

劇団を始めた頃、自分たちが何をやりたいかはいったんおいて、ふらっと来たお年寄りのお客さんが何が観たいのかを考え、水戸黄門や新選組の芝居に自分たちのやりたいダンスやコント、歌を交えたりする脚本を考えていました。

悩みどころは、このバランスです。お客さんが求めていることばかりやっても飽きられる。だからお客さんがまだ見たことのないものを創り出さないといけない。そのバランスは非常にむずかしいので、経営者はその割合を常に考えておく必要があります。

では組織経営において大切なことはどんなことでしょうか。

松岡:ビジョンの共有ですね。それは、かっこいい言葉を掲げることではなく、世の中の変化、人々の気持ちの変化から、これから会社を待ち受ける未来を予測して、未来に向けて今はこれをやるべきというシナリオを伝えることが大事です。ビジョンはスローガンではなく、こういう未来に対してこうしようという具体的なストーリーである必要があります。

劇団をやっていた頃、地方の人に生のエンターテインメントをお手軽に届けよう、と考えていました。当時、地方の人にとっては生のエンターテインメントはハードルが高かった。都市部に出ないといけないし、お金も高い。だからこそ、僕らが地方に出ていって、新しいエンターテインメントを作るんだ、そういうストーリーを毎回メンバーにも話すんです。そうするとそれだったらやりたい!という人がついてきてくれる。なので、“ストーリー”を話し合う時間があることが大事ですね。

ブレーキとなる大人を変えるのは、子どものプレゼン力

教育事業を始めたのはどうしてなのでしょうか。

松岡:僕は、音楽をやりたいということを自分の頭で整理して周りを説得することが最後までできませんでした。なので、自分の考えを整理して、意見や思いを相手に伝えるプレゼンテーション力の授業を保育園生から大学生まで幅広く行っています。

これからの時代、自分がやりたいと思ったら何でもできるし、小学生がSNSやYouTubeで発信することもできます。

でもブレーキになるのはおそらく大人の存在。だから今のうちに子どもたちは自分の頭で自分の意見を作り切る力、それを伝えるプレゼンテーション力を身につけておかないと、さまざまな可能性が飲み込まれてしまうなと思ったんです。

将来的には、諸外国のようにプレゼンの授業が国語や算数と同様に時間割に入ることを目指しています。そのために昨年からキャリア教育とプレゼンテーション、その2本立てでいろんな学校を回っています。

プレゼンテーション力を身につけるにはどんなことが必要でしょうか?

松岡:自分が発言したことについて、みんなが“いいね”って目線でこっちを見てくれる、という経験を1回でも多く子どもの頃にできることだと思います。僕がやっているのは、そういった土台となる心へのアプローチです。

学校では先生向けの研修プログラムも実施しています。具体的には、手を挙げたら褒めてもらえるなど、発言することに対しての肯定感を高めて前向きになれる導き方や、そのための時間を作ってもらうように話をしています。

最後に、ご自身のキャリアチェンジの決断を振り返ってみてどうでしょうか。

松岡:25歳くらいまで、社会や親や先生が“良い”とするキャリアを歩まされていたという苦しい感覚がすごくありましたから、今のほうが別人格というくらい自分らしく生きている感じがしますね。今では東芝時代の同僚や上司と会うと、「顔色が良くなった、表情が柔らかくなったね」と言われます。

劇団をやっていた頃に出会った人たちは、出自も経歴も性格もさまざまで、そういう人たちと話しているうちに、自分が歩んできた道は数ある選択肢のひとつでしかなかったと知って、だいぶ楽になりました。

正解至上主義の教育をまともに受けて立ってしまうと、正解か逃げるかしか選択肢はありません。

でも振り返って思うのは、逃げるという選択肢も立派な行動のひとつ。逃げるようで後ろめたくても、辛いほどに悩むなら、決断をしてそのあとに悩めばいい。振り返ればキャリアは自然とできているものだと、今は思います。