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脱走人生を経て出会った“ライフワーク” 想いをかたちにする移住コーディネーター──井上紗由美

脱走人生を経て出会った“ライフワーク” 想いをかたちにする移住コーディネーター──井上紗由美

脱走人生を経て出会った“ライフワーク” 想いをかたちにする移住コーディネーター──井上紗由美

5年前に「地域おこし協力隊」への応募をきっかけに地元浜松の山間地域にUターンしてから、私の仕事は「地域とかかわる仕事」になりました。

地元の狭い世間が嫌で、地域というコミュニティから一度は離れた私が、今、改めて地域と関わる仕事に就き、その仕事が「ライフワーク」と呼べるほどになっています。それは、常に私自身が「生き方」そして「働き方」と向き合い、それまでの常識や思い込みから“脱走”を繰り返してきたからだと思います。そんな私の22年間の脱走人生(笑)のお話です。

井上 紗由美(いのうえ さゆみ)

1978年11月生まれ。静岡県浜松市出身。18歳で上京、17年東京等で暮らす。35歳で地元浜松の山間地へ地域おこし協力隊としてUターンしたことをきっかけに、地域と関わって働き生きることがライフワークになる。現在は「浜松移住コーディネーター」として浜松市から業務委嘱を受け、浜松への移住希望者の相談にのりながら、山間地振興に奔走する日々。

18歳、地元から東京へ“狭い世間”からの脱走

18歳の私は、「〇〇さんの娘」という家族の属性や、出身学校で貼られる「レッテル」で判断される、そんな地元の“狭い世間”を息苦しいと感じ、一刻も早くここを出たくて東京の大学へ進学しました。上京して10年くらいは東京で暮らすことが面白くて、新しい人やものと出会い、幅を広げていくことをとにかく楽しんでいました。そして何より今までの経歴で判断されない「私自身」でいられる「自由」を満喫していました。

大学を卒業後、正社員で働いていたころはかなり残業も多く、休みの日は疲れ切ってマッサージ店に駆け込む日々でした。いつの間にか、そんなマッサージを自分が施す側になって、自分のサロンを持ちたいなぁと、技術を習得するためスクールに通い始めました。

ここで初めて会社に所属せずに自分で自分の食い扶持を確保する、「起業」という選択肢が現れます。起業をしている方の交流会に出かけてみたり、自分でもイベントや講演会を企画してみたりしていました。やがて前職で仕事仲間だった今の夫と結婚し、二人の生活になったことで「やりたいことを仕事にする」という、新たな働き方の道を模索し始めました。

30歳、会社員生活にピリオド“稼ぐために働く”からの脱走

結婚して2年ほどたったある日、とある物件との出会いから念願だった自宅サロンのオープンを決意。30歳を目前にして会社を退職し、フリーランスの道を歩み始めます。

自宅サロンをスタートしたものの、収入としては十分には得られずバイトを掛け持ちしていました。当時の私は「アルバイトでも、仕事をするなら好きなことをやりたい」と思っていたので、仕事を選ぶ動機には「好き」や「心地よさ」を大切にしていました。

おにぎりが大好きだからおにぎり専門店で働いたり(単純、でもこの単純さは大事)、農業に興味があったので農園で収穫作業のバイトをしたり。繊維関係のメーカーで働いたときは、自宅での活動と両立したかったので、オフィス出勤せずに自宅での作業を認めてもらえる働き方を交渉しました。浜松に来る直前に勤めていた介護の仕事は「通勤電車に乗りたくない」という理由から、自宅から自転車や徒歩で行ける場所を選びました。

会社を退職後に私が選んでいた仕事の基準は、収入や仕事内容というよりは、自分のしたいライフスタイルができるかどうか、という基準になっていきました。できるだけ自分のストレスが少なく、自分がしたいライフスタイルが実現できるような条件の仕事。その仕事を「組み合わせながら」収入を得るという方法をとっていました。

35歳、東京生活にピリオド“消費する世界”からの脱走

30代に突入したころから、周りに農業や自然に優しい暮らしに興味を持つ友人が増えたことで、自給自足的な生活に興味を持ち始めました。

高い家賃を払い、食べるものなどすべて買わなくては賄えない都会での「消費する」生活から、小さな畑でもいいから自分の食べるものを育てるという「生産する」生活へシフトしていきたい。そんな想いが強くなるにつれて、浜松の山間部に住む祖父母の生活がまさに人生のモデルだと気づき、帰省のたびにいろんな話を聞くようになっていました。

そんな矢先に祖母が病気で亡くなり、改めて知恵を持った人たちがどんどんいなくなってしまうことを実感。先人の知恵を引き継ぐことができないものかと考えていた時に、SNSで見つけた浜松の地域おこし協力隊に応募し、山間地域へUターンすることになったのです。

東京に住んでいた私がこの仕事をするためには移住しなければならず、仕事を始めて半年間は単身赴任で夫と別々に暮らし、半年後に夫も東京の会社を辞めて浜松に来てくれました。私の気持ちを汲んで一緒に来てくれた彼には今でも本当に感謝しています。

地域おこし協力隊として配属された引佐地域で3年間任期を満了しましたが、はじめは「地域のためになることをやらなくてはいけない」という、義務感がありました。でも「自分らしく生き生きとそこで暮らすことで、地域の良さを他人にも伝えられる」と軸を「自分」にシフトするようになってから、「自分はどんな地域に住みたいのか、それを実現するにはどうしたらいいか」をイメージして活動するようになりました。

10代の頃、あんなに煩わしく感じていた地域との関わりも、いろんな世代の方から昔ながらの生活の知恵や伝統文化について直接話が聞けたり、実際に現場で一緒に関わって教えてもらえたりすることがとても面白く、貴重な経験だと感じています。

また、空き家を借りて敷地内にある小さな畑を耕して野菜を作ったり、梅干しや味噌づくりなど季節の手仕事をしたり、そんなささやかな日常の営みも楽しんでいます。

少しは「消費」から「生産」する生活にシフトできているかなぁ。私のレベルはまだまだでも、それが実現可能なフィールドがあるということは確かで、この地域の豊かさだと実感しています。

40歳、“ライスワーク”から“ライフワーク”へ

地域おこし協力隊の任期後は観光の仕事を1年経験して、現在の移住コーディネーターの仕事についています。観光の仕事も移住の仕事も地域と密接にかかわる仕事です。

浜松にUターンしてからの5年間、地域に関わって仕事をして感じることは、ひとの「想い」に触れているということです。真剣に地域やコミュニティを想う人たちに出会って、私もその人たちの想いを形にするお手伝いがしたいと思い、関わってきました。

そして、山間地域に住んで5年がたった今、人の「お手伝い」ではなく、自分がもっとこの地域を「こうしたい」という想いを前面に出していこうと、「山のしんぶん舎」という屋号で山間地域の発信もスタートさせました。「山のしんぶん舎」の活動についてはまた別の機会にご紹介したいと思います。

「他人事」として始めた仕事がいつの間にか「自分事」になって、働くことが自分の叶えたいライフスタイルと直結している。稼ぐために働く「ライスワーク」ではなく、「ライフワーク」に出会えたのかなぁ、と感じています。40歳という区切りをむかえた今、自分の誇りと情熱をもって取り組める仕事に出会えて幸せです。

ここまでくるのに22年かかりましたが、私の仕事はやっとスタートラインに立ったところです。ライフワークと呼べる仕事に出会えたことは、決して偶然でもラッキーでもなく、自分が意志をもって選択してきたこれまでの積み重ねの結果だと思っています。

これからも、自分の気持ちに正直に、現状から常に脱走し続けていきます。果てしない私の脱走人生はまだまだ続く・・・to be continued・・・。

 

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