マイノリティを自覚し、異文化を理解して受け入れる。それが、海外で生きるということ── 鈴木詩織

マイノリティを自覚し、異文化を理解して受け入れる。それが、海外で生きるということ── 鈴木詩織

マイノリティを自覚し、異文化を理解して受け入れる。それが、海外で生きるということ── 鈴木詩織

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詩織さんとの初めての出逢いは、ワークスアプリケーションズさんへの取材で訪れたシリコンバレーの地。その際に、「海外で働く日本人をめぐる旅」の話をさせていただき、今回このインタビューが実現しました。プロダクションマネージャーとして、現場ではとにかく頼もしく動き回る「オカン」のような存在の詩織さん。高校でアメリカに留学してからずっとアメリカで過ごす彼女に、女性として海外で働くということ、そして生きるということについて、じっくりと伺ってきました。

鈴木詩織(すずきしおり)

アメリカ・カリフォルニア州 ロサンゼルス 株式会社ブックマーク2代表映像制作プロダクションマネージャー 東京都出身。高校留学で渡米。そのままアメリカの大学進学に進学し、卒業後は現地日系企業に就職。ブライダルコーディネーター、映像制作コーディネーターの職を経て、30代で独立。現在はロサンゼルスを本拠地に、プロダクションマネージメント業を営む。

映像制作コーディネーターという仕事との出逢い

日本を出たきっかけはなんだったんですか?

鈴木詩織(以下、鈴木):私は高校生の時からアメリカに来ているんですが、理由としてはやっぱり、日本にいることがすごく窮屈に感じられたって言うところですね。あと、母が帰国子女だったこともあって、留学や海外はすごく身近にありました。

両親が少し変わっていたので、私も少し変わってたんだと思うんですよ(笑)日本の「単一」文化が肌に合わなくて、高校生の時に留学でアメリカに渡ってきて、それからずっとアメリカにいますね。

では、大学進学も就職もずっとこちらで。

鈴木:そうですね。大学では生物を専攻して、卒業後は日系の某有名花屋さんに就職しました。ちょうどその企業がアメリカ進出をするというタイミングだったんです。ですので、新卒の入社当時は、結婚式のコーディネーションをやっていましたね。

でもしばらくしたら、その会社のアメリカ撤退が決まりまして(笑)働いている会社が潰れてしまっても私は食べていかなきゃいけないし、次の仕事はどうしようかと思っている時に、たまたま今の業界の仕事をお手伝いする機会があったんです。その仕事をしている時に、「この業界に向いてそうだけど、ちょっと働いてみない?」とお声がけいただいて、それからずっとこの業界にいますね。

そうだったんですね。現在の仕事内容を、詳しく教えていただいてもいいですか?

鈴木:私は、プロダクションマネージメントという仕事をしています。コーディネーターと表現した方が、わかりやすいかもしれませんね。

簡単に説明すると、主に日本のテレビ番組やCMの撮影を海外で行う場合に、その国で撮影をするために必要なことをトータルでお手伝いさせてもらう仕事です。出演する方をはじめ、スタイリストさんや技術さんのアサイン、撮影交渉、撮影場所の手配や撮影許可申請、そこに関わる方々の車両、食事やホテルの手配まで、必要なことは全てです。

まさに「オカン」的な役割ですね(笑)

私たちが普段何気なく見ているテレビ番組やCMは、詩織さんのようなオカンがいるから成り立っているんですね。

鈴木:撮影ってだけで大変なのに、異国となればもっと大変じゃないですか。国が変われば、ルールも違いますからね。

通常、日本で撮影してらっしゃる方々が、異国で撮影するにあたって、カルチャーや言語の違いといった障壁を感じずに、円滑に撮影を進められるよう全力でサポートする、これが私の役目です。

私はロサンゼルスを拠点にしていますが、アメリカ国内だけで活動しているわけではなく、日本もヨーロッパも含めて世界各国。海外テレビ局の仕事も含め、いろんな国のいろんな方々と一緒にお仕事ができるのが面白いですね。

言わずともわかってほしい日本人と、とにかくおしゃべりなアメリカ人

本当にたくさん出会いのあるお仕事ですよね。

鈴木:道に寝てるホームレスの方、普通にはお会いすることができないスターの方や大統領まで、本当にたくさんの方々にお会いできるんです。この仕事の魅力っていうのは、人との出会い、その一言に尽きるかもしれませんね。

異文化同士の間に立たれるわけですから、大変さももちろんありますよね。

鈴木:そうですね。決してみんなが同じ意見じゃないし、見え方も違うんですよね。みんな英語という共通言語でコミュニケーションはとりますが、バックグラウンドはもちろん違うし、なまりもある。家に帰って食べるものも違うし、育った環境も違うんです。ですから違うのは当たり前ですよね。

例えば、私にとっては当然「りんご」に見えるべきものでも、相手にとったらそれが「りんご」に見えていないことがある。そういう時にしっかりと説明をして、私にとってはこれは「りんご」という認識なので、その認識でわかってくださいねと伝えて理解してもらう。

見え方が違う人たちに対して、いかに喧嘩をせずに自分の意見を通すか。ここが大変であり、大変だからこそ面白い部分でもありますけどね。

アメリカで生きていく上で、これが一番大事な術なんじゃないかな。

こういった部分で、日本とアメリカの違いをよく感じることがありますね。

というと?

鈴木:さっきも言ったように、日本の場合は「単一」な価値観なんです。だから、「りんご」に見えないのはそもそもおかしいし、中には、なんで分からないんだと怒ってしまう人もいます。

その逆で、アメリカは「多種多様」。移民だらけでバックグラウンドが全員違うんですから当たり前ですよね。

アメリカ人ってすごくおしゃべりな方が多いんですが、それはやっぱり「カルチャーが違うから自分のことを分かってもらいたい」って想いがどこかにあるんだと思うんです。だからこそ、話をした分、ちゃんと分かってもらえますよ。納得いくまで話し合うという文化が根付いていると思います。

日本のように、言わなくてもわかってくれるなんてありえません。ある程度の大雑把さと図々しさも、アメリカに限らず海外で生きていく上では必要じゃないかな(笑)

他に、アメリカで生きていく上で大事なことってありますか?

鈴木:自分の軸はちゃんと持っておくべきだと思いますね。

自由の国って言われてますが、自由をどう選ぶのか。そこがすごく難しいと思いますよ。何でもしていい分、その中で自分がどう生きていくのか、それを見つけて進んでいくのはとても大変なことだと思います。流されてしまうのは簡単ですからね。

相手のカルチャーを理解した上で、いかにうまく立ち回るか

鈴木:今は「自由」や「多様性」を象徴するような街、ロサンゼルスを拠点にしていますが、高校の時に初めて降り立ったのは小さな田舎町。来たばかりの頃はカルチャーショックを受けましたよ。

どういったことにカルチャーショックを受けたんですか?

鈴木:さっきも言ったように、日本って単一だから、差別されるということが少ないんですよね。でもこっちに来た途端、「お前は日本人だから嫌いだ。」って言われるんです。自分の母に、「Shioriは日本人だから付き合っちゃいけないって言われた。」って。

十数歳の少女には、それはもう衝撃的ですよ。私という人間は嫌いじゃないが生まれた国が嫌いといわれてもどうすることもできない。

それからずいぶん経った今でも、仕事をしていて感じる時があります。白人に比べれば当然アジア人はマイノリティであり、しかも女性ですから。

今でもですか。

鈴木:もちろん。そういうのも、この地で生きていくんであれば受け入れて乗り越えていかなければならない。だからこそ、相手のカルチャーに対してはすごく敏感だし、すごく勉強もします。同じ英語であっても、言い回しだったり、表情であったり、何かしらの要素をうまく捉えて、どうしたら自分が動きやすくなるのかを考えるんです。

海外で暮らすということは、マイノリティである自分の立場を理解して、さらには異文化を理解し受け入れる。そしてそれに適応していく、そういった力が必要だと思います。

テレビの向こう側にいる、誰かのために

詩織さん、今後何か考えていらっしゃることはありますか?

鈴木:いつも私は10年スパンで物事を考えているんですね。

まず、社会人になりたての20代は、仕事をしっかり覚えることに重点を置いていました。そして、自分というコーディネーターがいるっていうのをクライアントさんはもちろんのこと、先輩にも後輩にも分かってもらう。

仕事を覚えた後の30代は、会社をやってみたくて独立したんです。フリーでやってももちろんよかったんですが、人を雇って会社を経営する、その責任感というのはなんだろうって身をもって体験がしたかった。

そして、40代。それまでの十数年、がむしゃらに身を粉にしてやってきて、体調を崩してしまったこともありました。だから、プライベートとのバランスを大事にしたいなって。

50代では、自分のためではなく、お金儲けでもなく、ソーシャルビジネスというか、人のためにもなるような仕事をしたいなって思っていたんです。でもそれを尊敬する先輩にお話したら、「詩織ちゃん、お金がないとできない貢献だってある。」そう言われた時に、「あぁ、そうかもしれない。」って思ったんです。だから、ちゃんと自分の仕事をして、その使い道をどうしていこうかなってまだまだ考えているところです。またこれもワクワクしますね。

それでは、今と変わらず、オカンでい続けるんですね。

鈴木:そうですね。私は30代で父親を亡くしているんですが、彼は末期ガンで最期は寝たきりの生活になったんですね。そんな彼の新しい一日の始まりは、いつもテレビだったんです。周りを見渡してみると、多くの患者さんもそうだった。

それを見た時に、私は誰かのためになるかもしれない凄いパワーを秘めた仕事に携わっているんだなって気づかされたんです。

もしかしたら、旅にいくことができない人が旅番組を見て、その場所に行った気になれたりするかもしれない。

もしかしたら、お笑い番組を見て、笑って、その時だけでも痛みを忘れられるかもしれない。

お医者さんのように治すことはできないけれど、そうやってすごく影響力のあるものに関わらせてもらっている。そんな仕事ができていることに感謝しつつ、これからも歩んでいきたいと思いますね。

インタビューを終えて

日本とロサンゼルスを往復する多忙を極めるスケジュールにも関わらずお時間を作っていただき、さらにはTakashiさんまでご紹介いただき、感謝の気持ちでいっぱい。

その嬉しさと感激を伝えると、「私もこうやって色々な人に助けられてきたの。やっぱり一人では生きていけない。私が諸先輩方にしてもらったことを、こうやってまたつなげていくのも私の役目。頑張っていれば必ず誰かが見ていて助けてくれるから、これからも前に進み続けてね。こうやって助けたくなるのもまた、あなたの魅力ですから。」

この言葉に涙が溢れだして止まらない、私にとっては大きく心に残るインタビューでした。詩織さん、またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。

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