自由な生き方は、車社会から始まった!?生まれた時からレールのある日本と、レールのないロサンゼルス。

自由な生き方は、車社会から始まった!?生まれた時からレールのある日本と、レールのないロサンゼルス。

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柴野さんとの出会いは、ワークスアプリケーションズ社のインターンシップ。私は取材、柴野さんは撮影。取材中は、なかなかお話する機会がなかったので、ロサンゼルスのオフィスにお邪魔することに。お仕事終わりの柴野さんと、たまたまその日柴野さんと同じお仕事をされていた、この日が初めましての江田さんを交えて、ビールを片手に始まった、題して「オジサンズ」。さて、どんなお話が聞けるのでしょうか。

柴野 健一(しばの けんいち)

アメリカ・カリフォルニア州 ロサンゼルス 株式会社ルナ テクニカ 代表取締役社長 北海道旭川市出身。東京都内の映像プロダクション会社に就職し、数年勤務したのち、勉強のために渡米。ハワイ、ニューヨークと拠点を移し、日系のプロダクション会社に就職。その後、ロサンゼルスで独立。現在は、アメリカ西海岸を中心に、報道、スポーツ番組の取材、中継技術などを手掛けている。

江田 泰二(こうだ やすじ)

アメリカ・テキサス州 フリスコ CO-DA Production代表 福岡県福岡市出身。26歳でワーキングホリデービザを取得し、カナダ・バンクーバーの日系ビデオプロダクションにて1年間の職務に就く。その後ロサンゼルスの日系ローカルテレビ会社に就職。4年後に独立。フリーランスとして、ビデオプロダクション業務に携わり、日本のテレビ取材、企業プロモーション制作等で撮影/編集などを手掛けている。現在は26年間住んでいたロザンゼルスを離れ、テキサス州フリスコに転居。

今お二人はアメリカでお仕事をされてますが、こちらに来たきっかけから教えてください。

柴野 健一(以下、柴野):僕は北海道出身なんですが、写真家になりたくて東京に出たんですね。動機は「アキナちゃんに会いたい」っていう(笑)

え、アキナちゃんって、中森明菜ですか?柴野さん、いつもクールだから・・・意外!(笑)

柴野:若い頃の動機なんてそんなもんですよ(笑)ある時、大御所の先生のところで弟子をしないかって言ってもらったことがあったんですが、よくよく話を聞くと、「最初の3年は子供の世話と犬の散歩かな。」って言われて、マジかよー!って。そこでもう写真家になるのはやめて、映像プロダクション会社に就職しました。

ただ、その就職した会社がまたちょっと言いにくいような大変な会社で(笑)その会社を辞めるために、「アメリカに勉強に行きます!」って言って日本をスーツケース1つで飛び出した。それが僕のアメリカ歴の始まりです。

そこからロサンゼルスですか?

柴野:いや、初めはハワイなんです。飛行機代が一番安かったからっていう、ただそれだけの理由で。それで、ハワイで半年ぐらい過ごしてからニューヨークに移って、そこで日系のプロダクション会社に就職しました。

僕は仕事上、撮影の現場に出向くので、アメリカ中色々飛び回ったんですが、ロサンゼルスの気候がすごく気に入ってね。それで、結婚をして子供を授かったタイミングでロサンゼルスの会社に転職をしました。

それが1991年。それからずっと、ここロサンゼルスを拠点にしています。

現在はご自分で会社経営されてるかと思いますが、いつ立ち上げられたんですか?

柴野:当時働いていた日系の会社がアメリカから撤退するタイミングで、転職ではなく独立の道を選びました。それからもう20年近くになります。

江田さんは?

江田 泰二(以下、江田):僕も1991年にLAなんで、同じ年にこの地に来ているんですね。

僕は、中学の時にビートルズに憧れて、高校でバンド活動を始めました。高校を卒業して大学に行ったんですが、大学に通う理由が自分の中で見出せなくて、2年で大学を中退したんです。精神的に自立がしたかった、というのも大きな理由です。親の資金で学生生活を送るということに抵抗がありました。

その頃から、どうもみんなと同じように“レールに乗っかる”というのがしっくり来なくて、大学を辞めた後はずっと社員という形を取らずに、バンド活動をしながら色々なアルバイトをしていましたね。

そうやって“正解らしきレール”から外れると、「安定した生活はどうするんだ?」とか「将来はどうするんだ?」とか「結婚はどうするんだ?」とか、いろんな人に言われるわけですよね。

それが嫌で、地元の福岡から東京に出ました。バンドとしても、一度東京に行って違う世界を見てみたかった。

そこで見えた東京の景色は、みんなスーツを着て死んだ目で電車に乗るサラリーマン。そして、自分の思うようなメンバーと巡り会うことが出来ないもどかしい日々。そうしているうちに1年が経ち、東京を去る決断とバンド活動を人生の主軸から趣味に置き換える決断をしました。

ちょうどその時、実家のビジネスが倒産し、両親が和歌山の叔母の世話になるようになりました。今まで自分のやりたいようにさせてもらったので、自分の人生の2年間を両親への恩返しのつもりで手伝いをしようと思い、私も和歌山に移りました。23歳の時でした。

そうだったんですね。アメリカにはいついらっしゃったんですか?

江田:実は、最初はアメリカではなく、カナダのバンクーバーに行ったんです。両親との約束の2年間を終え、翌年にワーキングホリデービザを取得し、移り住みました。

その当時の私の英語力は乏しいものだったので、バンクーバーで仕事を探すにも日本食レストランや旅行社、ギフトショップの店員などが主な就職先。それまで日本で27種類ぐらいのバイトをやっていたので、せっかくカナダにいるのだから、今までやったことがない仕事をしてみたいと探したところ、たまたまビデオプロダクション会社の募集があり、採用してもらいました。

見よう見まねでの作業でしたが、仕事は面白く、特に編集作業というのがどこか作曲作業と似ているところがあり、あっという間にビザ期限の1年が経ちましたね。

そこが今の仕事の原点になるんですね。

江田:そうですね。本来であれば1年で日本に戻らなければいけなかったのですが、ダメもとでロサンゼルスに行ってビザをサポートしてくれる会社を探したところ、日系のローカル放送をしている会社がたまたま募集をしていて、経験者扱いで採用してくれたんです。

その会社で4年間働いたのちに独立、今に至ります。

自由な生き方は、車社会から始まった!?

こちらに来てみていかがですか?長く住まれているということは、日本と比較した時に、居心地がきっといいんだろうなと。

江田:そうですね。こちらに来た当初思ったことは、スーツを着たサラリーマンはすっごく格好いいし、きっちり仕事をして終業時刻になったらサッと帰って、家族をとても大事にする。そういったスタンスがとても魅力的だなと感じたし、今でもそう思っています。

あと、ロサンゼルスに来てみるとよくわかると思うんですが、ニューヨークとサンフランシスコは別として、アメリカの多くの街の構造が日本とは全く違うんですよね。まさに車社会。自分の目的地には車で行って、目的を果たしたら車で帰っていくので、他の人と余計に交わることがあまりないんです。だから、行動派の人間にとってはすごく生きやすいんじゃないかな。

日本にいた時に感じていた、変なストレスというのは全くありませんよ。

柴野:そうそう。ロサンゼルスは車社会だから、そもそも“レール”が敷かれてない。だからみんな自由に生きているんじゃないかなと。

日本って、地方の例外はあるけれど、ほとんどが駅を中心に街が作られているんだよね。生まれた時から“電車のレール”が敷かれている。だから、“人生のレール”が敷かれていても疑問を持たないのかもしれないと思うことがありますね。レールの上には自由がないから、アメリカ人はすごく嫌うんじゃないかな。

江田:その視点面白いですね。

逆に、レールが敷かれていないこの街は、自分が利用しようと思わなければ何もサポートしてくれないと思います。ロサンゼルスという街は広いし、車がなければどこにもいけない。

以前に出会った日本人の方が「ロサンゼルスはつまらない」とおっしゃっていたので、よくよく話を聞いてみると、車は持たずにバスで生活していたんですね。それではやはり限界がある。

自分のいる環境を十分に把握して、その場所を楽しむための想像力と行動力が必要だと思います。これはロサンゼルスでなくても言えることだと思いますね。

「人生はギャンブル」「いろんな場所でいろんな経験をする、後悔なき人生を」

生まれた日本ではなく、大きな海を隔てた地で人生を切り開かれてきたわけですが、どのような考え方を持って歩まれてきたのか聞かせてください。

江田:僕は「後悔はしたくない」って思って日本を出たわけです。

その「後悔」の手前には、これをやりたいんだけどやってしまったら…という葛藤があるわけですよね。その葛藤のきっかけは、「やりたい」「行きたい」っていうポジティブな感覚があるはずなんです。その感覚がなければ、後悔もないんですよ。もし自分の中に、そのポジティブな感覚を見出した時には、ぜひその想いを大事にして欲しいと思いますね。

柴野:僕は人生ギャンブルだって思ってるんですよ。

松下幸之助さんが自社の最終面接で最後にしていた質問は「あなたは運がいいですか?」だそうです。その質問に対して、「運が悪い」と答えた人は、どんなに優秀であろうとも落としていたというお話は有名です。

それと同じで、運も実力のうちなんですよね。

僕のハワイの話に戻りますが、僕はハワイで自分の運を試したんです。初めの3日間で、以後半年間滞在できる宿(もちろん無賃)を見つけられるかどうか、という運試し(笑)3日分の宿だけ抑えてハワイ行きの飛行機に乗りました。

ダメなら日本に戻ればいい、たったそれだけの話なんです。こういう方が、ドキドキ感とスリルがあって楽しいじゃない。

行動して楽しんだもん勝ちじゃないかな!

ハワイにそんな秘話があったとは(笑)それで宿は・・・?

ちゃんと3日間のうちにGETしましたよ!それがあったから、今こうしてアメリカで生活できてます。

江田:僕らは、日本という小さな場所から一歩でたからこそ見えるものがある。たった一歩だったけれど、でもその一歩が全てを変えるんですよね。

人それぞれ価値観が違うし、どれが正解という道もないですよ。日本で僕らにはできなかった生き方をしている人がたくさんいる。

ただ、僕たちの根幹に昔も今も変わらずにあるのは、一度しかない人生、いろんな場所に行っていろんな経験をしてみたい、そんなアイデアです。

そして、この歳になって思うことですが、人生は人との関わりに依るところが大きいということ。“縁”は単なる出会いですが、その“縁”を繫ぎ止めるには努力が必要ですし、素直にその“縁”を大切にしたいと思えば後悔は自然となくなるものだと感じます。仕事についてもこの“縁”がとても大事だと思います。

そうやって、これからも後悔をしない人生が送れれば良いと思っています。

インタビューを終えて

予期せず突如始まった「オジサンズ」の会。車社会に象徴されたアメリカの自由主義とは、とても面白い視点のお話でした。
日本から一歩外に出たからこそ見える景色。日本を飛び出して、異国で踏ん張ってきたお二人の言葉には、力強さと説得力がありました。たった一歩踏み出すだけで、きっとチャンスは無限に広がって、全く違う世界が見えるかもしれない。そう思うとワクワクして仕方がない、そんなロサンゼルスの夜でした。

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