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色んな価値観があっていい、そう思う為にアートは必要なもの。パリから日本を見て、今思うこと─写真家・水島優

色んな価値観があっていい、そう思う為にアートは必要なもの。パリから日本を見て、今思うこと─写真家・水島優

色んな価値観があっていい、そう思う為にアートは必要なもの。パリから日本を見て、今思うこと─写真家・水島優

「芸術の都」と呼ばれる世界有数の観光地パリ。そんなパリに相応しい人物・写真家の水島さんにインタビューさせてもらいました。「自分の興味を突き詰め、自分の心が満足することをする。人の評価は変わるけど自分の想いは変わらない。」そう語る水島さんの生き方と働き方についてです。

水島 優(みずしま まさる)

1983年新潟生まれ。2004年バンタンデザイン研究所フォトグラフィ学科卒業。卒業後パリへ移住。2006年よりベルサイユ市立美術大学で造形美術などを学ぶ。現在は、 MADAME FIGARO、ELLE、ミセス、家庭画報など日本のカルチャー雑誌などの写真撮影と、美術視点での作品制作や個展などの写真を使った美術表現の活動も行う。故郷の新発田市ではヴィンテージ自転車イベントの企画・運営にも携わっている。

海外に興味はなし、むしろ嫌いだった

現在は、パリで活躍されていますが、元々海外に出たいという思いがあったのですか?

水島:いや、まったく思ってませんでしたよ。むしろ海外とか嫌いでした。

では、何がきかっけだったのですか?

水島:デザインの専門学校に通っていた頃、岡本太郎がピカソにインタビューをしてる本を読んだことがあって、その中でパリで活動するピカソに岡本太郎が「なんでパリなんだ?」って聞いたらピカソが“自分がスペイン人でいられるからだ”って言っていたんですよね。

スペイン出身のピカソにとって自分がスペイン人でいられる場所、それがパリだったんです。それがすごい面白いなって。今まで、海外に住むっていうことは、その国の言語を学んで、その国の文化を学ぶっていうこと、つまりその国の人になっていくっていうことだと思っていたから。その価値観が崩れたっていうのとその頃、たまたまフランスで活動しているアメリカ人のファッションフォトグラファーのアシスタントの仕事があると紹介されて、自分はフランス系のファッションが好きだったし、それなら「パリってどんなところだろう?」って、行くだけ行ってみることにしたんです。

パリに行ってからは実際どうでしたか?

水島:きつかったですね、金銭的に。ベルサイユ市立美術大学に通いながら、空いている時間にアシスタントの仕事を入れてっていう感じだったのですが、そんなに仕事もないし、作品の制作に時間もかかって。

日本は全体的にアートや美的なことに興味がないように見えますね。それに、作家が勝手に好きなものを作っていると思われがち。感情的なことだけでなく、いったいなぜそれを作ったのか論理的に説明できる人が少ないように感じます。

自分の意見を言えることが大事

美大に通いながらアシスタントをして節約の日々、大変そうですね。

水島:大変でした。しかも、美大の先生とは意見が合わなくて、僕は新しいものをつくりたいのに、既存のものの真似をしろと言われて、それってすごく古いなって。だから頭にきて、美術の歴史とか現代のアートの話をしても、それは知らないって言われたんです。それで先生にあなたは、もっと勉強にした方が良い」って言いました。

先生に言ったんですか!?(笑)

水島:僕すごく短気だから、上から目線で言われるともうだめなんです。でも、フランスでは、自分がこうしたい、こうなりたいっていう自己表現はすごい大事なことです。その後は、空いてる時間で仕事をどんどん入れました。日本の家庭画報などの雑誌のフランスでの撮影をさせてもらったりしていたので、その影響もあって仕事も増えていって、28歳くらいのときには本格的に自分で仕事をするようになっていきました。

どんな写真を撮っているのですか?

水島:物をいかに美しく撮るかってことに力を注いでいます。例えば、ブランドの高級感や世界観を出す必要があるジュエリーの撮影だと、1枚の撮影に2時間かかるんです。それがやっぱり楽しいですね。

写真家以外の道を考えたことはなかったですか?

水島:元々は機械系の高校に通っていたので、何かつくることを仕事にしようと思っていました。

模索し続けた高校時代、そして写真との出逢い

機械ですか?

水島:はい。一般的な男の子が機械とか模型とかが好きな感じで、高校時代はものをつくるのが好きでした。僕もそういったものをつくる人になりたいなと思っていて。普通の高校へ行って大学で工学部とかに入ると、もし失敗したら他のことができなくて人生が終わるような気がしたので、高校で機械系に行こうと決めました。早めにやっておけば、失敗したら大学で違うことをやればいいやと思って。

高校生で、そこまで考えているとは!

水島:いやでも、これがけっこう大変で。頭もよくて本気で機械が好きって人に混じってやっていたので、高校生なのに自分でプログラミングしてテトリス作っちゃたりとかするやつらですよ(笑)計算とかも、数学と物理をたしたようなものを普通に解いてるし。普通の学校で何かつくろうっていう授業だと、設計図があるけど、僕らの場合は設計を自分でやらないといけないんですよ。

聞いただけでも難しい(笑)

水島:そうそう。面白かったですけどね。でも、高校2年生くらいのときになんかこれ違うぞって思って、もうそこから必死ですよ。やりたいこと探さないとやばいやばいって。それで保育士のボランティアを始めたんですよ。

え!いきなり保育士!?

水島:機械ばっか相手にしてて孤独だったから、人とふれあいたいってのと子どもが好きだったのでね。相手のリアクションがある仕事したいなあって。それをやって看護師のボランティアもやって。

それで、写真はいつから?

水島:保育士になろうとしていた頃に、兄が一眼レフのカメラをくれたんですよ。使ってないからあげるって。それを撮りだしたら面白くて、面白くて。写真を撮られるのは大嫌いだったのに、自分が撮るのは楽しいってことに気づいたんです。バイト代を使って撮った写真を現像して見たときに、自分の見ていた世界ってこんなに美しかったんだ!って、感動したんです。

その時に、これを仕事にしようと思って、卒業後は写真のことを学ぶために専門学校に進学しました。

そこまで思えたのはすごいですね。

水島:それまで人生に希望を持っていなかったから余計にそう思ったのかもしれませんね。中学校も本当に嫌でつまらなくて、ストレスで病気になって、スポーツが好きだったのにできなくなって、かといって勉強は嫌いで、先生も嫌いで、その頃って自分の世界が学校だけじゃないですか。内申点を気にして言いたいことも言えなかったし。

高校生の頃は何を撮っていたんですか?

水島:人でも景色でも何でもですね。日常生活を撮っていました。今見ても高校生のときの写真はいいですよ。今じゃ撮れないものばかりです。体育祭とか、本当にいきいきしていて。理系なんで周りの友達は僕の写真に全然興味持ってくれなかったですけどね(笑)

アートは価値観の多様さの象徴であり、誰かの救いに

写真家として、日本とフランスのどんなところが違うなと感じますか?

水島:やはりフランスのほうが、芸術が身近にあると思います。ルーブル美術館で誰でも美術史を学べるし。歴史を学ぶのは大事なことなのに、日本では習うけどここまで重要視はされていないですから。日本は全体的にアートに対して力を置く傾向がないですね。だから、作家が勝手に好きなものを作っていると思われがち。感情的なことだけでなく、いったいなぜそれを作ったのか説明できる人が少ないので理解できる人も少ないです。日本の理論の甘さを感じます。

たしかに、美術よりも他の学問のほうが重要視されているかもしれないですね。

水島:アートって現代を反映しているもので、色んな価値観があっていいって思えるために必要なものなんですよ。でも、今日本でアートっていうと少し変わっているものとか、変わっている人として注目されたりすることが多い。それだけで終わっちゃうけど本当はもっと奥が深いし、色んな人がいて色んな考え方があることが救いになる。僕にとってもそうだったから、そういう風に思います。

水島さんは写真家としてどんな価値観を持っているのですか?

水島:僕は、一般的な写真家とは違う考え方をしているのかなと思います。自分の興味のあるものを突き詰めて、自分なりの答えを出していくんですよ。コンセプトを決めてデッサンをしたりもしますし。例えば、永遠って何なんだろうって考えているときに、永遠のものなんてない、でも人間は永遠の愛を誓うし、どこかで永遠を求めている。で、僕がそのとき作った作品が、『La Seine』という作品でセーヌ川の光の揺らめきを撮ったものです。

一瞬の中に永遠があるんじゃないかって。それが写真表現と重なるものがあるなと思って、それを表現したかったんです。セーヌ川の光の煌めきは一瞬のもの、でも川にはその街の数え切れない人々の人生が流れてきているんですよ。ずっと昔から、永遠に。

写っている対象は僕にとって何でもいいんです。その先にあるものにしか興味がないんです。

▲新潟市新津美術館で開催された展示会「パリに生きる新潟の作家たち」での水島さんの作品。

個の意思が尊重されるフランス

生活面で、フランスと日本の違いを感じるのはどんなところですか?

水島:フランスだったら仕事は17時に帰るのが当たり前。子どもを小学校に迎えに行かないといけないし、男性も女性も一緒に子育てをする。日本では、郊外から都会に出て必死に働いて子育てして...って、もっと楽にできるはずなのに、と思うことがあります。

日本人よりも、余裕がある感じがしますね。

水島:僕は趣味でテニスをやっているのですが、「テニスしたいから、うちの子どもを見ててね」とかってわりと普通だし、周りのみんなであやしたりとかしてます。これが日本だったら、「なんで子どもを他人に預けてまでテニスしてんの?」ってなるでしょ。やれる人がやればいいだけなのに。

あとは、社会保障も優れていると思います。例えば失業保証とか2年は援助が受けれるし、額は少ないですけど保証をもらうハードルが低いですね。仕事がない人より、仕事を用意できない国がわるいという考え方をする国なので、それに対して国がきちんと責任を負っています。

もっと日常的なことで言うと、ちゃんと挨拶する習慣がありますよね。知らない人にでも普通に話しかけるので、人と人との距離が近いところはすごく良いなと思います。パリはそんなに大きな街ではないので日本の田舎みたいな感じなんです。家族の時間やバケーションなど、自分のすきなことを大事にするところにも日本との違いを感じます。

生活していて、困ったことはなかったですか?

水島:やはり言語は困りました。僕が来たときは英語ができる人も全然いなかったです。第二外国語がスペイン語だったというのが最近まで続いていたようで、今でも年齢が上の人は、英語話せないですね。あとは考え方。言わないとわからない。意見を言わないとバカだと思われるし、でもそういう中で自分が変わっていったのもあります。

フランスで培ったものを日本に還元したい

もっと日本がこうなったらいいな、と思うことはありますか?

水島:日本の価値観では、お金にならないと残らないものがあるので、それがすごくもったいないなと思っています。日本にも良いものがいっぱいあって、逆にフランス人のほうがそれに気づいているんです。日本は内向きになっているけど、外の消費者に目を向けていけたらいいですよね。用途が違ったりするから、新しい発見もあるし、そういったところがまだこれから広がっていく余地があるなって思います。

それに、物をつくるのはすごく楽になっているから、それをもっと発信していけたらいいですね。拡大がベストではなくて、自分たちが満足してチャレンジを続けられる、そういうシステムをつくることが一番必要だと思います。

今後、実現していきたいことはありますか?

水島:自分がフランスで培ったものを日本に還元したいですね。特に、地方都市に魅力を感じているので、例えば地元の新潟で、写真をひとつのツールとして、若者が集まれるような場所をつくったり、とか考えています。写真家っていうと一生それだけで食っていくって感じがするけど、色んなことが好きだから好きなことを大事にしてやっていきたいです。

何か行動するときのポリシーはありますか?

水島:自分が納得したことしかやらない。あとは、楽しむこと。やるからにはちゃんとやること。これからも楽しいとか興味があることをやっていきますね。じっとしてられないんで、なんかしてると思います。僕の場合はお金にあまり興味がないんですよ。お金が欲しいとか有名になりたいとかもないから、自分の心が満足することをやっていくだけです。人の評価は変わるけど、自分の想いは変わらない。だから、自分が楽しければそれでいいんです。

編集後記

パリ在住歴10年以上の水島さんのお話から、フランスの文化や人々について、アートという面でも生活の面でも様々な違いがあることを知りました。

インタビューの節々に垣間見られる美しい言葉。繊細かつ豊かで、でも強い想いや感情。芸術家として生きる水島さんの話を存分に聞かせてもらいました。

写真だけでなく、テニスや自転車など、多くの趣味を持つ水島さん。私も自分の好きなものやこと、幸せを感じる瞬間、心が喜ぶことをもっと探して、知って、生きていきたいと思いました。

水島さん、ありがとうございました!

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