ニューヨークで飲み明かした翌日。とにかく「美味しいうどんが食べたい!」そう思ってお邪魔した、ブルックリンにある「SAMURAI MAMA」さん。口いっぱいに広がるダシの香り、そしてコシのあるうどん。あまりにも美味しくて美味しくて、感動した私は店員さんに声をかけました。お話を聞いてみると、やはりオーナーさんは日本人。こうして実現したインタビューです。
鈴木 誠(すずき まこと)
アメリカ合衆国・ニューヨーク 日本食レストラン オーナーシェフ 埼玉県北本市出身。本場アメリカでの俳優を志し、31歳で渡米。語学学校に通いながらニューヨーク式のメソッドを学び、俳優への道を志すも、ビザ問題により35歳でその道を断念。その後、日本食レストランに就職。赤字店舗を6年で人気店にし、独立。2005年にブルックリンで自身の一店舗目となる、創作すし・和食の「Bozu」をオープンし、「MOMO」「SAMURAI MAMA」など新店舗を次々にオープンさせる。ブルックリンだけでなく、東京神田にある「北出食堂」も手がける店の一つ。現在は計8店舗のオーナーシェフを務める。
俳優を目指してやってきたニューヨーク
うどんの美味しさに感動して、思わず声をかけさせてもらいました。今日はお忙しい中ありがとうございます。
鈴木 誠(以下、鈴木):そうだったんですね。ありがとうございます!こだわりの自家製麺で、茹で上げる釜は日本からわざわざ持ってきていますよ。
わざわざ!すごいですね。それでは早速、ニューヨークに来たきっかけから教えてください。
鈴木:ニューヨークに来る前は、日本で俳優業をやっていたんです。黒沢明監督の映画にも少し出させてもらったりしていましたね。そして、当時所属していた事務所の代表が海外に精通していて、ニューヨークで演技を学ばれた方だったので、演技メソッドはニューヨーク式でした。
転機は31歳の時。今井雅之さんの神風特攻隊をテーマにした舞台、『THE WINDS OF GOD』の海外初演をニューヨークでやることになり、それに伴い渡米しました。それからもう24年になります。
俳優業はいつまで続けていらっしゃったんですか?
鈴木:こちらで俳優になりたかったので、学生ビザを取得して語学学校に通いながら、俳優としてのトレーニングを積む生活を4年程していました。ただ、どうにも越えられないのが、ユニオンという役者の為の労働組合の壁。この組織に加入していないと、そもそもオーディションすらも受けられないのが現実です。ユニオンに加入するためにはグリーンガード(※)が必要ですから、それはそれは厳しい条件下ですよね。
学生ビザで滞在できるのは5年間のみ。渡米して4年が経ち35歳になった時、一旦俳優業を中断して、グリーンカード取得のために現地の日本食レストランに就職しました。
(※)グリーンカード・・・アメリカ合衆国における外国人永住権
何も成し遂げずに、日本には戻れない
俳優業と並行ではなく、中断だったんですね。
鈴木:もちろん並行してやろうと思えば出来ますよ。でも僕、中途半端が嫌いなんですよ。だから、それは出来ませんでしたね。
ちなみに、日本に戻って俳優業を再開するという選択肢はなかったのですか?
鈴木:さすがにそれはないですよ。30代半ばでいい歳だし、何も成し遂げずに帰国はできなかった。就職したレストランがビザサポートをしてくれていたので、俳優業のことは頭から消し去って必死に働きました。
ただ、僕がビザ申請したのは移民法改訂直前で、入国管理局がパニックになっているタイミング。ビザがおりるまでになんと6年もの期間を要しました。僕がアメリカに来て5年目以降に突入してからは、晴れて不法滞在の身です(笑)
え、それ大丈夫なんですか?(汗)
鈴木:当時のアメリカの移民法では、グリーンカード取得後に罰金1000ドル支払えば、不法滞在記録が帳消しになったんです。僕はグリーンカード申請中だったので、アメリカを出ることはできませんから、トータル10年は日本に帰れませんでしたね。
その間はどっぷりレストラン業に専念。就職したお店は当時は赤字の日本食レストランだったんですが、1年で利益を倍にしたんです。とにかくいろんな工夫を凝らして、6年後には3倍まで利益を増やしました。
そして41歳を迎えた時、無事にグリーンカードが取得できました。
やっと。
鈴木:そう、やっとです。でも、俳優業に戻るという考えはもう無くなっていましたね。人に使われながらオーディション暮らしをしていくというのは、もう終わりにしようと。かといって、これから全く別の道を歩むのもそれは非現実的。同じ貧乏暮らしをするくらいなら、イヤでも覚えてしまったレストラン業で独立をして自分のお店をやろうと決めました。
その第1号店が、ブルックリンのウィリアムズバーグにある『Bozu』です。
暗い場所にポッと明かりを灯す、そんな場所を作りたい
▲開店前にお邪魔したBozuの店内。入り口で出迎えてくれるたくさんのダルマには、お客様からのメッセージが。
鈴木:1日100ドルくらいのお金が自分の手元に残ればいいかな〜なんて思っていたら、初日の売上げはなんと86ドル。手元に残るも何も、色んな支払いをしたら大赤字もいいところ。手伝いに来てくれた友達に給料を払うんじゃなくて、借りちゃったよね(笑)
これではいかんと、本当に色々と試行錯誤して、今があります。
今でこそ大人気スポットのブルックリンだけれど、当時はまだドラッグディーラーが集うような薄暗い場所だったんです(笑)
こ、怖い・・・(汗)
鈴木:ブルックリンが流行り出す前から店を構えているので、「先見の明があるね!」なんて言われるんですが、当時はまだ認可もゆるい場所で、安かった。そんな理由も含めて、とにかく直感であの場所を選んだんです。
店をオープンして友人を呼んだら、店に入るやいなや、「あー、怖かった!なんでこんな場所にオープンするんだよ!」って言われちゃうくらい(笑)
今のブルックリンからは想像もできないですね(笑)
鈴木:でしょ。お店なんて、ウチくらいしかなかったからね。そんな場所で昼間に仕込み作業をやってると、なぜか不動産屋さんがアパート探してる人に物件を見せて回って、そのついでにお客さんをお店に連れてくるわけですよ。「ここにはこんなシャレた店があるんだよ。」って。
連れてこられたお客さんも、安心できるんですよ。近くに雰囲気の悪い店があるのは嫌だけど、オシャレなお店だったら嬉しいじゃない。意外とそういうのって住む決め手になったりするんですよね。
飲食店には人を安心させたり、人の居場所をつくったり、いろんなパワーがある。それはブルックリンでお店をやりながら感じてたことです。
例えば、暗闇の彼方に、ポツンと赤提灯が見えたらなんか安心するじゃない。それと一緒。そうやって、少しずつでも人が集まってくる場所があれば、新たに違うお店がその周辺にできて、また人が集まってくる。そんな連鎖で、ブルックリンも今では大人気スポットです。
素敵な連鎖ですね。
鈴木:今僕は、その連鎖を日本の田舎に持ち帰ろうと思っています。日本の田舎って、すごく綺麗で美しいんですよね。そして農作物も美味しい。すごく大きなポテンシャルを秘めていると思うんですよ。
僕がお店づくりで気をつけていることは、自分自身がその場所に居て心地良いかどうかということ。そういった場所を作って、まずは自分たちが楽しむ。そこに楽しい暮らしがあったら、みんな覗いてみたくなるじゃない。日本の田舎にそういった場所を少しずつ作っていきたいと思っていて、現在プロジェクトが進行中です。題して、「IGC(Inaka Global Connection)」!田舎グローバルコネクションです。
日本第1号店は日本橋。日本橋ファクトリーという三井不動産のプロジェクトに参加する形で、「Brooklyn Ball Factory 北出食堂」として出店します。
早速、田舎じゃなくて都会じゃん!と突っ込まれそうですが、日本橋は東海道五十三次の出発点となった重要な場所。僕らしいお店づくりをしていくので、日本に帰ったらぜひお店に遊びに来てください。
店舗紹介
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bozu[location] 296 Grand St Brooklyn, New York, NY 11211 |
MOMO[location] 43 Bogart Street Brooklyn, NY 11206 |
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SAMURAI MAMA[location] 205 Grand St, Brooklyn, NY 11211 |
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SAMURAI PAPALAFAYETTE |
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BROOKLYN BALL FACTORY[location] 95 Montrose Avenue, |
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北出食堂[location] 東京都千代田区岩本町1-13-5 8ビル1F |
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編集後記
人を笑顔にしてその場を明るくする、そんな誠さんへのインタビューは私も終始笑っぱなし。スタッフの皆さんもとても素敵な方ばかり。心地の良い場所がここにはあって、そこに自然とお客さんやスタッフの皆さんも集まって来ている、そう感じた取材でした。
私がニューヨークでお邪魔したのは、Brooklyn Ball FactoryとSAMURAI MAMAの二店舗。それぞれのお店でいただいたミートボールとうどんは絶品!そして、誠さんのお店の雰囲気と味をもう一度味わいたくて、帰国後に北出食堂にもお邪魔したら、ここでも最高のタコスに出会ってしまいました・・・♪日本にやってくる、NYブルックリン発の「IGC」が今から楽しみでなりません!誠さん、ありがとうございました。