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「ふるさとの香りを求めて」移住先で始めた有機農園が命をつなぐ。

「ふるさとの香りを求めて」移住先で始めた有機農園が命をつなぐ。

「ふるさとの香りを求めて」移住先で始めた有機農園が命をつなぐ。

地域での暮らしはどんなもの?
地方移住に注目が集まる今、そんな疑問にお答えするために始まったこの連載。
今回は、栃木県那須郡那珂川町へ一家3人で移住し、有機農家と料理教室を営む、小鮒千文さんにお話を伺いました。

小鮒千文(こぶな ちふみ)

野菜料理研究家 台所養生共室・主宰 国際中医薬膳師・医学気功整体師 北京中医薬大学日本校卒。 福島県出身。養生法を学び実践するなか、震災を機に農業の道へ。農園内でのカフェ立上げ運営を経て栃木県那珂川町に移住。町と連携した産前産後養生事業やメディアへのレシピ提供などをしている。

病と震災から揺らぎ始めた「食」という生きる土台

小鮒さんは、那珂川町で薬膳料理を教えているそうですが、始めたきっかけは何だったのでしょうか?

小鮒千文さん(以下、小鮒):少しさかのぼってお話することになりますが、24歳のとき大きな病気をしたことをきっかけに、東洋医学を学び始めたんです。


小鮒:病気がわかった当時、広告代理店で働きながらお金を貯めてワーキングホリデーへ行く予定でしたが、未来への可能性をすべて奪われた気がして絶望しかけました。

そこで東洋医学の「食」を通し、主体的に心身を健やかに保つ方法を追求しました。

その後、少しずつ健康を取り戻し家族ができますが、東日本大震災が起こります。地元である福島は放射能の影響が大きく、「食」という生きる土台が大きく揺るがされていると感じました。

震災後の福島での暮らしはどんなものだったのでしょう。

小鮒:当時息子は3才でしたが、保育園はすべて室内保育で、常に線量計をぶら下げ、外で遊ばせることはできません。

そんな中、わんぱくな息子は度々保育園を脱走し、除染していないところででんぐり返し。このままここで息子を育てる自信はない…。そして震災から3ヶ月後、まったく計画もありませんでしたが、県外への移住を決意しました。

▲小鮒さん一家の暮らす築200年(!)の古民家。今にも寝転びたくなる座敷が広がる。

千葉県外房での生活を経て、那珂川町へ

たった3ヶ月での決断だったのですね…!移住先ではどのような生活をされたんですか?

小鮒:千葉県の外房に移住し、無農薬の会員制農園へ住み込みというかたちで働きながら農業を学びました。

単に野菜を生産するだけでは生活は厳しく、自立していくには6次化が必要。そう考え、それまで自分のために学んできた東洋医学の知識を活かし、薬膳料理や郷土料理を提供するカフェも立ち上げました。

その後、なぜ那珂川町へ移住することになったのでしょう?

小鮒:4年半が経ち、そのまま外房エリアで暮らすことも考えましたが、福島に親や兄弟がいるので、できるだけ近いところへと行きたいと思っていました。

そんな中、千葉と福島を行き来する中で、那珂川町をよく通っていたんです。

自然が豊かでとても良いところだな、と気になって問い合わせたところ、那珂川町役場の職員・露久保さんに出会いました。露久保さんにはとても親切にしていただき、それで那珂川町の地域おこし協力隊になることを決めました。

▲小鮒さんがひとつひとつ手作りする養生茶は、約20種類以上

裸一貫で飛び込んだ経験が、移住を後押し

那珂川町には、役場の職員さん以外にまったく知り合いのいない状態での移住ということですが、不安などなかったでしょうか?

小鮒:千葉県の外房に裸一貫で飛び込んだという経験から、自分が元気ならどこへ行っても大丈夫!と思えるようになりました。

また「自分たちの命を生かしてできることをやる」という道が、震災を機にはっきりと見えたので、大変なのはわかっていても進むことができました。

震災後の決意が、今に繋がっているんですね。那珂川町では、地域おこし協力隊としてどんな活動をされていたのでしょう?

小鮒:ミッションは那珂川町での暮らしを発信することでしたので、有機農家と薬膳料理教室を始め、町の広報誌『なかがわ』で連載をしました。

産前産後のお母さんのからだの養生視点での料理教室や、ケータリング提供などの活動は今でも行っています。女性の元気を応援したい!というのは、協力隊を終えた今でも持ち続けている思いですね。

▲養生茶には内容と効能を丁寧に記載。野菜とセットで配送している。

ご夫婦でのお仕事の役割はどのように分担されているのですか?

小鮒:農園で夫が生産と出荷をして、私はその野菜を使った料理教室の企画・営業をするという感じで分業をしています。

作った野菜は、「養生便」としてお茶と養生通信という冊子をセットにして全国に配送しています。私が冊子のイラストやデザインをして、夫がデータにして、という共同作業ですね。

▲東洋的養生の知識が詰まった「養生通信」。本を結ぶ紐はリユースTシャツからつくられる「ヤーン」。

助け合いがいつもそこにある、里山での暮らし

那珂川町の魅力はどんなところだと思いますか?

小鮒:やはり一番は自然。移住先へ求めるものの条件は、温泉、川、湧き水があるところ。それがすべて揃っていたのが那珂川町でした。

私たち夫婦はふたりともみちのくで育ち、子ども時代はきのこ狩りへ行ったり清流へ出かけたり、そういったところが懐かしかったんです。

小鮒さんご夫婦は、これまでいろんな地域の人と接してきたと思いますが、“人”という面ではどうでしょうか?

小鮒:千葉に比べると、福島に似ているな、と思います。東北にいる親戚は、物静かな人が多いですが、どちらかというと、そんなみちのくの人の香りがするなって思います。

移住するときも、「福島と似た香りのある場所が良いね」とふたりで話していて、夫もこの通り寡黙ですし(笑)。なのでとても落ち着く場所ですね。北関東や東北の人には馴染みやすい場所だなと思います。

▲アパレル業の経験もあるという寡黙な小鮒拓丸さん。

那珂川町での暮らしはどんなところが他と違うなと感じますか?

小鮒:暮らしの中に当たり前に、ご近所さんとの付き合いがありますね。

この地域には、ご近所だけの「組」という集まりがあって、隣の家の方との付き合いなどが密接なんです。

移住してきたばかりの頃、夫が作業中に骨折して、そのとき助けてくれたのも組の人でした。息子の世話をお願いして、病院まで迎えにもきてくれて、夕ご飯まで作ってくれて。

そういった、サービスやビジネスではない、人のあたたかさが里山には残っていて、それが那珂川町の暮らしの醍醐味なのではないかなと思います。

ご近所とのつながりは、移住者にとっても心強いものなのですね。今後は那珂川町でどんな活動をしていきたいですか?

小鮒:移住して5年目を迎える今年、この家を使って、農園で採れた野菜の加工所をやりたいと思っています。かつてこの家が寺子屋であったときのように、小鮒農園のコミュニティスペースとして活用できたらなと思います。それと、「また食堂はやらないの?」と言ってくれる方々の声にも答えたいですね。

小鮒さん、ありがとうございました!

取材を終えて

「食」は私たちの生きる土台となり「命」をつくります。
「命」ある限り行動をし、人とつながり、そしてまた人の食を支え、命となる。お二人の農園と料理教室は、そんな素敵な循環をつくっています。いただいた養生茶を飲むと、体だけでなく、心までもほっこりと温かくなったような気がしました。

▼『小鮒農園』についてはこちらから!
http://kobuna-farm.com/