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“みんながアーティスト” 枠にとらわれないアートに魅せられて

“みんながアーティスト” 枠にとらわれないアートに魅せられて

“みんながアーティスト” 枠にとらわれないアートに魅せられて

栃木県・那珂川町の自然豊かな山間に、オルタナティブアート専門の美術館『もうひとつの美術館』があります。館長の梶原紀子さんが20年以上前、なぜ那珂川町に渡り、この場所を作ったのか。その背景とおもいに迫りました。

オルタナティブアート…ハンディキャップのある人や、独学で創作活動してきた人などによる、独創性の強いアート作品のこと。

梶原紀子(かじはらのりこ)

NPO法人『もうひとつの美術館』館長 東京都出身。1998年に那珂川町に移住。2001年に『もうひとつの美術館』を設立。明治36年建築の旧小口小学校の建物を活用し、ハンディキャップを持つ芸術家の美術作品を展示している。

理想の移住先を見つけ、田舎暮らしを実現

ここはどういった場所なのでしょうか?

梶原紀子さん(以下、梶原):ここは『もうひとつの美術館』といって、旧小口小学校の校舎を再利用して2001年に開設された美術館です。今年で開館20周年を迎えます。

“みんながアーティスト、すべてはアート”をコンセプトに、年齢・国籍・障がいの有無・専門家であるなしを越えて、まち・地域・場所やジャンルをつなぐアートのあり方を提案しています。

アールブリュット、アウトサイダーアートを主なテーマに掲げる、日本で最初の美術館で、春夏秋の企画展を中心に、様々なイベント・ワークショップを開催しています。

木造校舎の雰囲気の残るカフェ&ギャラリー『M+café』、ミュージアムショップも併設しています。

▲カフェ&ギャラリー『M+café』


▲ミュージアムショップ

梶原さんは東京のご出身と聞きましたが、元々美術館を設立するために移住されたのですか?

梶原:いえいえ。美術館をやるとは思っていなかったですよ。那珂川町に来るまでは東京の中野で暮らしていました。

生まれも東京で、子どもの頃から満員電車で通学していました。大人の間に挟まれて息が詰まり、幼いながらも都会での生活が好きではなく、田舎暮らしがずっと夢でした。

その後、陶芸がやりたくて京都の大学へ行くのですが、京都の集落の町家が好きになり、建築に目覚めたんです。東京に戻ってきてから建築を学び直しました。そして結婚して子どもができ、息子が塾通いや受験戦争へと突入する前に、東京を出ようと決めました。

夫と私どっちにも縁がない田舎で、東京から200km内で、陶芸をやれるところ、腰を悪くしたので温泉があるところを探していました。

ちょうどその頃、移住関係の情報誌に、茂木や益子などが出ていて、それがきっかけでこのあたりも良いなと思い始めました。

小砂に良い土地が見つかって、「この土地に自分たちで家を建てれば住める!」と、右も左も分からない中、家を設計し建てたんです。

そうして97年に家ができて、週末に通うセカンドハウスとして慣れていくことにしました。子どもたちもこの環境が気に入ってくれて、98年の3月にはこちらに完全に移住をしました。

築118年の旧小口小学校が美術館に

なぜ美術館をやることになったのでしょうか。

梶原:那珂川町に来て1年後、『このアートで元気になる』(99' 東京都美術館)で夫がハンディキャップを持った人の展覧会を初めて見てショックを受けました。

私はその展覧会のカタログを見て、私の尊敬する陶芸家の八木一夫さんが障がい者の創作活動に関わるボランティアをしていた、という事実にも大きく触発されました。

こんなにすごいアートが世の中にはまったく知られていない。その創作を支えるには八木一夫さんのように、創作の環境を整えて、支える人が必要です。作品を作品として認め、伝える人がいなければ成り立たないんです。私はどんな部分にでもいいから関わりたい!と思いました。

そしてその時期と、このあたりの学校が統合される時期が重なったんです。この旧小口小学校は明治時代に建てられ、118年の歴史があります。私はここをひと目見てすごく気に入ったんです。

はじめはアトリエでも良いと思いましたが、障がい者のアートを中心とした美術館は当時日本になかったので、世の中にそういう場所がひとつくらいあっても良いじゃないかと思い、美術館にすることに決めました。

枠にとらわれないハンディキャップアートの魅力

ハンディキャップのある人の作品の魅力はどんなところだと感じられていますか?

梶原:既成の枠にとらわれていないところだと思います。上手い下手ではなく自由な発想力があります。『もうひとつの』というのは、既成の枠にとらわれない別の見方がある、という意味が込められています。

来館した人からは、「疲れが吹き飛んだ」「元気になれる」と言っていただくことも多いですね。

私もここの空気や作品から、癒しを感じます。

梶原:都会の人はみんなそう言いますね。はじめは他の美術館から作品を貸してもらうのも大変でした。建物も木造ですから「燃えやすいですよね、作品が心配です」って。美術館は湿度温度管理ができないとダメなんですね。そういった状況もたくさんの方の理解や協力があって、少しずつ変わっていきました。

創作活動をすることで自分が夢中になれれば良いと思うんです。その人が幸せになれればそれで良い。アートを楽しんでもらいたいです。

▲長く続く展示棟の廊下

那珂川町は、自由で芸術に明るい町

那珂川町に来られて、町の印象はどうだったでしょうか?

梶原:小砂や小口など馬頭のエリアはまったく排他的ではなくて、外からのアーティストにもウェルカムだったんです。30〜40年くらい前、今の広重美術館のところにはたばこ倉庫があって、そこで彫刻家の丑久保健一さんが展覧会をやったそうです。それを見た芸術家が移住して来て、アトリエを持っています。

自分の作品をゆっくり作りたい人にとって、とても良い環境だったのだと思います。暮らしについても、このあたりはポツンポツンとしか家がなく、人との距離感がとても程よい感覚があります。

その昔、小砂と小口のあたりは後の久保田藩の藩主・佐竹氏の領地だったそうです。関ヶ原の戦いの後、上の人たちは秋田に行ったんですが、ここらへんは半農半武士だったそうで、土地に残ったんですね。その時の名残で、他の人と干渉しないくらいの距離を保たれているのだそうです。

今後ここをどんな場所にしていきたいですか?

梶原:人々の交流の場所であってもいいと思うので、外から来た人に町を案内したりもしています。観光の案内情報も置いていますし、フリーWi-Fiもあります。

私たちが東京から移住して田舎暮らしを実現できたのも、ちょうどインターネットが盛んになった時期だったというのが大きいですね。

今ではネットで仕事ができるし、満員電車で通っている時間はもったいないですから、ちょっと仕事をしに来る人がいても良いと思っています。

あとは、「元気になる」と言われるとやはりうれしいです。なので来館者が、自分でも意識していない潜在的な能力に気づいたり、感性が刺激され、開放されるような体験ができる場所でありたいですね。

これからも、地域を巻き込みながら、あらゆる出会いと可能性が生まれる美術館にしていきたいです。

取材を終えて

“人は誰もがアーティスト” そんな言葉にハッとした今回の取材。
建物の懐かしい雰囲気と作品の放つエネルギーに包まれ、大人になるにつれて忘れていた創造することの楽しさが蘇り、少し自由な気持ちになりました。
訪れる人々を癒し、その人の力を引き出す『もうひとつの美術館』が、この先も地域の人々を巻き込みながら、どんな進展をみせていくのかとても楽しみです。

▼『ねこあそぶ』(2021年2月23日〜6月13日 もうひとつの美術館)