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広報・PR力を地方で発揮!一人旅をきっかけに函館に魅了され『函館経済新聞』を立ち上げるまで。

広報・PR力を地方で発揮!一人旅をきっかけに函館に魅了され『函館経済新聞』を立ち上げるまで。

広報・PR力を地方で発揮!一人旅をきっかけに函館に魅了され『函館経済新聞』を立ち上げるまで。

はじめまして。どの血筋をさかのぼっても北海道に縁がないのにある日突然函館に魅了され、とうとう二拠点生活を始めた岩渕菜々子です。以前は函館に行くために仕事をし、いまは函館で仕事を作ってしまったという顛末記になります。

岩渕菜々子(いわぶちななこ)

1979年8月東京生まれ。食品メーカーで事務職を経験後、離脱。PRパーソンに憧れPR代理店で修行した後、IT企業などでの広報職を経て2017年に独立。現在は企業の広報支援・PRプランナーとして活動中。2019年7月に「函館経済新聞」を立ち上げた。 

「PR」という仕事に就いたきっかけは「終売案内」

就職氷河期の頃、運良く食品メーカーに一般事務として入社。営業部で事務をやっていました。会社から新商品が登場するたびに、プレスリリースを営業の方に配っていましたが、それと同じだけやってくるのが終売の案内。

一つの商品を生み出すためにどれだれの労力がかかっているのか、末端の社員でもわかることです。
「なぜこんなに美味しい商品が終売になってしまったんだろう」と悶々と考える中で導き出した一つの答えが、「認知度の問題」でした。

スーパーの棚で手に取るのは、やはり「知っている」「見たことのある」商品であることが多いと思います。「知らない」「聞いたこともない」ものは得体が知れず、手に取りづらいものではないでしょうか。

もっと多くの人に自分が好きなものを知ってもらい、長く棚に残ってほしい。商品の認知度を上げる仕事に携わってみたい。そう思って門を叩いたのが、PR代理店でした。

 

ゼロどころか、マイナスからのスタート

時代は不景気。それなりに有名な企業の正社員の立場を捨ててPR代理店の非正規雇用になるなんて、不安がなかったといえば大嘘。むしろ不安しかありませんでした。

でも、やってみたかった。

見る・聞くものがすべて初めて。右も左もわからない状態でしたが上司やクライアントに恵まれなんとか正社員にまでなりました。

忘れられないのが、憧れていたクライアントの女性とご飯を食べていたときに、「何をすれば正解なのかわからないときがある」とこぼした私に対して返してくださった「それはあなた、私だっていつもそう思いながら仕事してるわよ。でも、これが正解って思ってしまったら成長が止まる気がする」という言葉。

上に立つ身であってもそう思いながら仕事をされているんだと、改めて尊敬の念を抱きました。いまでも、仕事で不安になるときはこの言葉を思い出し、いまだ成長の過程にいるのだと思うようにしています。

いまから思えばクライアントに対して「正解がわからない」なんて、よくもまあとんでもないことを言ったな、と背筋が凍ります。

疲れた女は北へゆく。

PR代理店に勤めて数年後、心身ともにものすごく疲れきってしまった時期がありました。そんなあるとき、ふとインターネットで見かけたのが「朝食がおいしい宿ランキング」のページ。思わず指が動き、ページを開けてしまったのです。カラフルな朝食の画像が並ぶ中で当時1位を獲っていたのが、函館にあるホテルでした。

「どこか遠くへ行きたい。そうだ北へ行こう」

「そうだ、京都へ(略)」ではなく、北へ。人生初の函館へ行ってしまおうとその場で月末の航空券を買い、ホテルの宿泊予約を済ませました。なんと初の一人旅。勢いで決めてしまったけれども、大丈夫なのか少々不安ではありました。

「あ、ここ好きだわ」という初めての感覚

空港について、市街地に向かうためのバスに乗車。ホテルに向かうまでの約20分の間に目に飛び込んできた景色が、津軽海峡と函館山でした。

「あ。わたしここが好きだわ。」

心が動かされた、というか、自然にそう思った、というか、とにかく「ここが好きだ」という気持ちが湧きあがりました。今までに味わったこのとのない、なんとも不思議な感覚。このあと函館山に行っても、五稜郭に行っても、どこに行ってもこの感覚は消えませんでした。消えないどころか、増幅する一方。

ここから、私の「函館沼」が始まったのです。

 

函館に行く、だから頑張れる

その後1年足らずでPR代理店を辞め、IT企業に転職。

ここでもPRの経験を生かしながら、「函館に行く」という強い想いのもと働いていました。この頃あたりから、周囲に「なぜそんなに函館に行くの?」と聞かれだしました。

ここで発揮したのが、「PR力」。

函館の良さをとうとうと(しつこく)語った結果、友人を何人か連れていくことに成功したのです。

自分でも、何か函館の役に立てるのかもしれない…!そう思い始めた矢先に起きたのが、メンタルの不調でした。

働き方と住み方を変える。

忘れもしない2014年の秋。まずは不眠から始まり、やがて体が動かなくなっていきました。肌が荒れ、マスクをつけないと外出できないほどに。

休みを取りつつ、できる範囲で働きながら、やっと通常の業務に戻れるようになりました。このときの上司や同僚には公私ともに支えていただき、今でも頭が上がりません。先のクライアントの方しかり、私の人生には都度こうしたキーマンの存在があったように思います。

この頃は、住まい方を変えた時期でもあります。体調不良をきっかけに都心部から郊外のシェアハウスに引っ越したのです。この決断は成功でした。自然の中で暮らし、オンとオフの切り替えがうまくできるようになったのか、体調も落ち着きを取り戻しました。

独立、そして「函館経済新聞」の立ち上げ

体調を元に戻し、働くペースを変えるために転職をし、その後独立を果たしました。PR代理店に入るときのように、正規雇用から不確実な世界へ足を踏み入れるのは相当な勇気と覚悟が必要でした。が、やっちゃいました。

独立して2年。多くの人に支えられ、東京だけではなく地方でのお仕事もやらせていただく中で、地域に根差したメディアに触れることも増えていきました。

その中で出会ったのが、「みんなの経済新聞ネットワーク」でした。日本全国に「〇〇経済新聞」がある中で、なぜか北海道には札幌・小樽・旭川しか存在しないことに気づいたのです。

本部に連絡をし、「函館経済新聞」が存在しない旨を問い合わせたところ、まだ運営者がいないので、手を挙げれば可能性があるとのこと。

これはチャンスかもしれない。

でも、やるには現地に拠点を構えないといけない。

でも、ここでやらないと絶対に後悔する気がする。

でもでもを繰り返しながら、夫に相談することに。私の函館愛を重々理解している彼は「やってみたら?」と背中を押してくれました。そこからの動きは我ながら早かった。

事務所兼住まいを探して契約を済ませ、2019年5月から函館と東京の二拠点生活が始まったのです。

函館・東京の二拠点生活

月の3分の1程度を函館で過ごして取材活動をし、東京では広報・PRの仕事をする。想像以上にしんどいけれども、想像以上に楽しい日々が続いています。悩むことも多いけれども、友人からの「それは前に進んでいるからじゃない?」という言葉に励まされ40歳という節目を迎えようとしています。

二拠点生活はまだ5か月目。人に偉そうに話せるほどの経験値はありませんが、それよりなにより函館は最高の街!その魅力を余すことなく伝えていきたいと思います!

▼函館経済新聞の詳細はこちら!

 https://hakodate.keizai.biz/

 

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