ボンジュゥ~ル♥
Fledgeの地域創生アンバサダーに就任したシーモア・カオリと申します。これからもノリノリで(!?)楽しく、移住情報を発信していきます!
シーモア・カオリ
山梨県出身。WEB&グラフィックデザイナー。元福岡県大刀洗町地域おこし協力隊(2019年5月退任)。山梨➡フランス➡東京➡インド➡アメリカ➡福岡➡アメリカ(←今ココ)。18歳より海外在住経17年以上(目下更新中)。フランス、イタリア、インド、アメリカなど、無駄に豊富な海外経験をオモシロネタとして公開中。怪獣2女児の母。好きな言葉:「大丈夫、死んでないから」。2019年7月よりアメリカハワイ州在住。
妄想力と実行力だけは高く!?
子どものころから絵を描くこと、妄想することに夢中だったシーモアです。
暇さえあれば、教科書にいたずら描きをしていた幼少期。遂には6年生の頃、自作マンガまで描いて、某少女漫画誌に投稿したことは、ちょっとどころか相当恥ずかしい思い出です!
▲妄想にふける幼少時代
ファッション大好き!な高校生になったころ、70年代カルチャーや音楽にドはまりするように。そして繰り返し
「フランスに何が何でも住みたい」(縁もゆかりもありません)
「ジャンポール・ゴルチエに会いたい」(誰それ!?)
と言い続ける娘に頭がおかしくなったんじゃないかと思っていた両親。そんな相変わらず妄想力200%のシーモアですが・・・憧れのデザイナーに会いたい!一心で両親を説得し続け、晴れて高校卒業後に単身、芸術の国フランスへ旅立つことになりました。
ファッションの中心、パリでパシリになってみた
フランスへ到着してから、フランス語を学び、パリのファッション・スクールを卒業したシーモア。まず最初にしたことは企業での「インターン」です。なんだかカッコイイ響きですが、実際は無給の「使いっパシリ」です。でもこれ、言い換えたらすごいチャンス。だって世界的な超有名人のアシスタント(パシリ)になれる!んですよ!
こんなすごい機会なら無給でもノープロブレムでしょう。
というわけで、3年に渡り、某有名デザイナーのアトリエ、大手ファッショントレンド発信企業、業界の重鎮と呼ばれる著名なアタッシェ・ド・プレスなどの元で「パシリ」となったわけですが、この時の経験って今も忘れられないことばかり。だって超大物デザイナーのファイルを片づけたり、ファッションショーの舞台裏を経験したり、業界の重鎮が出席するイベントに同行させてもらったり、カンヌ映画祭の広報書類をコピーの合間に堂々と盗み読みさせてもらったり・・・業界第一線で活躍する大物の働き方を、現場で見せてもらい、業界全体の流れをOn The Job Trainingさせてもらったという、素晴らしい経験をさせてもらえました。
▲パリでのインターン時代
外資系アパレルから主婦になったら
労働ビザを取得後フランスで数年働き、帰国。戻ってから東京では、フランスやアメリカの某有名外資系ブランドで働いていました。
▲フランス勤務時代のボスと仲間たち
特にアメリカのブランドでは、バイイングチームに入り、予算編成や店頭の売り上げ分析など、本国とのやりとりも多く、毎日遅くまで帰宅できない日々が続いて疲労困憊な日々。
そのころ、アメリカ人の夫と出会い、めでたく結婚。
▲神社で結婚式挙げました♥
しかし二人とも忙しすぎてすれ違いの生活。「いくらキャリアがあっても、こんな生活じゃ人生を楽しめない!」と毎日嘆いていたら、なぜか夫にインド行きの仕事が舞い込みました。
「こりゃ~、インドから呼ばれてるね!」(謎)と、揃って退職し夫婦でインドへ引っ越すことに!
▲インドでもふざけてばかり!?
1年後には長女をインドで出産。丸2年半のインド滞在後に、今度はアメリカハワイ州へ引っ越して、とんとん拍子で次女を出産。
▲インドで長女妊娠中
次女の産後、そろそろ仕事もしたいし、何か気軽に楽しくできる職場がないかな?と、知り合いの紹介で某ブランドの販売職をパートで始めることにしたのが「転機」でした。
約1年務めてみたものの・・・そもそも、本社で仕事をしていたので、やっぱり販売職に面白みが感じられなかったんです。その上、アメリカのコミッション制度のせいで、同僚からの嫉妬やもめ事に巻き込まれることもあり、なんだかちっとも「楽しく」働けないじゃないか!と落胆する日々。
転職を試みましたが、観光業がほとんどのハワイ州。「夜シフトナシ」「週末出勤ナシ」となると、ほとんどどの仕事もできません。面白そうな仕事の紹介があっても、結局同じ理由で不採用が続きます。
女性がバリバリ働けるはずのアメリカでも、自分のキャリアが生かせる仕事が見つからないことに、悶々とする日々を過ごしていた数年間。そのころ、いつも考えていたこと。それは家族との時間も大切にできて、自分のスキルを活かした働き方ってないの?でした。
▲週末よく家族で訪れたカイルアビーチ
そうだ、地域おこし協力隊になろう
今までのキャリアを生かして、家族との時間も大切にできる仕事・・・いろいろ考えた末にたどり着いたのが「起業」。そうだ、起業すればいいんだ!!
・・・ん?で・・・それ、どうやんのよ?
そりゃそーだ。やり方を誰にも教わってないから、わかりません!(笑)。
そこで、起業についていろいろと調べていたある日、日本の友人からこんな連絡が・・・
「ね~ね~、日本の田舎で“地域おこし協力隊”ってのになったら、起業の支援してくれるところがあるらしいよ?」これをきっかけに、地域おこし協力隊の制度について調べ始めました。
リサーチを進めれば進めるほど、帰国して田舎暮らしをする経験はきっと子供たちにとっても最高の経験になるに違いない、と確信。それに日本に第二の故郷ができるなんて、最高じゃないか!そして何より、「今までのキャリアだけでなく人生経験、全てが生かせる」という理由から、帰国して地域おこし協力隊になり、将来的に起業することを決意したわけです。
▲晴れて地域おこし協力隊に着任!
▲協力隊仲間と
「隠れスキル」を田舎で最大限に発揮
そんなわけで福岡県の、大刀洗(たちあらい)町という田舎町に家族で移住。私は地域おこし協力隊として、今までのキャリアを活かし、主に移動マルシェや宅配野菜のブランディング、販売促進などに従事していましたが、常に今後どのようなかたちで起業するか、日々模索していました。
▲地元ママ作家グループを結成&イベント運営なども担当
そんなある日、自分が携わる移動マルシェのロゴをデザインしてみたら、思いのほか大好評。さらに「えっ、アドビのソフト使えるの!?じゃあチラシも作って~」というまさかの展開に。そんなわけで初めて制作したチラシはこちら。
昔取った杵柄とはよく言ったもので、パリの学生時代(もはや20年前!?)に学んだ、アドビソフトの知識が田舎でまさかの大活躍。そして田舎だからこそ、必要とされたこのデザインのスキルで、最終的にデザイナーとして起業したわけですが・・・都会にいたら絶対に無理でした。だって私じゃなくても一流のデザイナーがたくさんいるから。そう、田舎ならではの「○○さんだから頼みたい」という“ムラ意識”に、ぴったりとニーズがハマったんでしょう。こんな風にニーズから始まった、シーモアのデザイナー業。改めて、どんな趣味も経験も、いつ、どこで役に立つかわかりませんね!と実感中です。
あなたも、自分では気が付かない「隠れスキル」が、田舎でなら最大限に発揮されるかもしれまんよ!みなさんにも、どんなおもしろい隠れスキルがあるか、ぜひ教えてくださいね!
▼シーモアさんの活動詳細はこちらから!
Facebook:https://www.facebook.com/kaoriseymour
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