<img height="1" width="1" style="display:none" src="https://www.facebook.com/tr?id=1176794389076832&ev=PageView&noscript=1" />

富山県人の頼れる万屋?105年の歴史を持つ『東京富山県人会連合会』。発展の裏側を探る!

富山県人の頼れる万屋?105年の歴史を持つ『東京富山県人会連合会』。発展の裏側を探る!

富山県人の頼れる万屋?105年の歴史を持つ『東京富山県人会連合会』。発展の裏側を探る!

出身都道府県から離れた地域で結成される『県人会』。
出身者同士の親睦やふるさとへの貢献などを目的とし、ほとんどが民間の任意団体ということもあり、現代ではそれほど耳にすることはないかもしれません。

そんな中、東京在住の富山県出身者のための団体『東京富山県人会連合会』は100年以上もの間、精力的に活動を続け、大きく発展してきました。

今回は、常務理事事務局長を務める東さんに、その歴史や活動の詳細、発展し続けてきた理由についてお伺いしました!

東 豊昭(あずま とよあき)

東京富山県人会連合会 常務理事事務局長。前川建設株式会社 元代表取締役社長。東京富山県人会連合会において50年以上にわたり、首都圏における富山県出身者のコミュニティ活動を行う。2011年に事務局⻑に就任し組織運営、イベント企画を推進。地元民間企業と富山県職員とも連携し、首都圏でのイベント開催、観光PR、人材育成に貢献している。

先代から100年以上、富山と東京をつなぐ存在

早速ですが『東京富山県人会連合会』とは、どういった活動をされている会なのですか?

東 豊昭さん(以下、東):東京在住の富山県出身者を中心に富山の魅力を発信したり、富山県の出身者同士での親睦交流の会としてイベントを開催したりしています。

発足は大正5年、旧富山藩主である前田利同を名誉総裁とし、安田銀行の創業者、安田善次郎を総裁、浅野セメントの創業者、浅野総一郎を副総裁として前身となる『富山県人会』を立ち上げました。昭和31年に東京富山県人会連合会と改名し、2021年で105周年を迎えます。

歴史も長いですが、そうそうたるメンバーで発足されているんですね。

東:でも、戦時中はほとんど活動できない時期もあり、活発になったのは終戦後ですね。国の復興を目指し、郷土意識が強くなった背景もあります。

その頃、東京で事業を起こした実業家の人たちが、富山からどんどん若手を呼んで、彼らの事業をサポートし独立へと導いていきました。

例えば、ホテルニューオータニの創業者の大谷米太郎さんは、5代目の会長でしたが、戦後の活動を大変盛り上げてくれたそうです。小松製作所の経営者、河合良成さんがその次の会長。先代から富山出身者同士で家族のように支え合い発展してきた、それが東京富山県人会連合会です。

伝統芸能を自ら披露!継続的にイベントを開催

今、会員の方はどれくらいいるんですか?

東:法人会員は30社ですが、富山の出身地、出身学校、東京で在住している地域ごとにも団体があり、全部で100の団体の連合体となっています。そのすべてに構成員がいて、だいたい25,000人くらいの会員がいます。

例年、約1,000人の会員を集めて『懇親のつどい』をホテルニューオータニで開いていて、そこには、富山出身の力士、朝乃山を呼んで激励することもあります。

▲令和元年の『懇親のつどい』。

2018年にはイタリア大使館で、大使夫人に富山の民謡を披露したこともあります。五箇山で生まれた人間の五箇山会というのもあり、そのメンバーで集まって地域の民謡を自分たちで歌って、踊りました。

▲イタリア大使館で民謡を披露。

え!すごい!日頃からそういった練習もされているんですか?

東:いえ、練習はしなくても『こきりこ節』と『麦屋節』といって五箇山の人は子どもの頃からみんな知っていますからね。日本最古の民謡として有名で、エリザベス女王が来日したときにも流れました。

▲日本橋三越前で民謡を披露したことも。

皆さんの郷土愛を感じます。東京富山県人会連合会がここまで大きく発展してきたのはどうしてなのでしょう?

東:こうすればうまくいく、という答えばありませんが、ひとつあるとすれば、継続的に活動してきたことが大きいと思いますね。今年はコロナの影響で年間70くらいやっていたイベントが、10くらいしかできませんでした。その影響で、これまで参加していた人が離れてしまうのが心配ですね。

それに今は昔とは少し変わってきていて、当時はみんなが会社の経営者なので自由にお金を使えて、ひとりが運営費を寄付するとなったら「俺も俺も!」と気前よくお金を出し合ったものでした。今はサラリーマンも増えたので、なかなかそうはいかないですね。

社長の二代目は東京で生まれ育ち、富山には縁がなく、離れて行ってしまうことも増えました。なので、今後どううまく運営していくか、今までとは違う新しいものをどう見出していくか、というところを一生懸命模索しているところです。

▲天皇陛下即位記念で富山の民謡について説明をする東さん。

富山県人の功績を、若い人に継承したい

今後はどういった活動をされている予定なのでしょう?

東:今後は、若い人の研修サポート事業により力を入れて、ふるさとの企業を応援する方向へも枠を広げていく予定です。具体的には、地元企業の採用を支援したり、web媒体で富山の企業の魅力発信に力を入れていきたいですね。

富山県自体も活動を応援してくれています。富山県の議員が本会議で、「東京富山県人会連合会は宝です」と、答弁してくれたんです。私たちも、県を応援するためにふるさと納税の推進や中高生のため活動を行ったりもしています。

富山の中高生のために、どんな活動をされているのでしょう?

東:東京で成功していても富山の地元では知られていない企業や人はたくさんあり、それらを伝えることで、東京と富山の人をつなげていければ、と思っています。

富山の学生が研修旅行で東京に来たときには、安田善次郎が寄贈した東京大学の講堂を見学し、説明もしました。他にも、スカイツリーや東京駅の赤レンガの建物の建築など、都内には実は富山の企業が多く関わっているので、そういった場所に学生を案内しています。

都内のビッグプロジェクトに富山がたくさん関わっているのは知らなかったです!しかも東さんご自身でご説明までされるんですね。

東:誰もが知っている場所を作ったのが、自分の先輩たちだと知ると若い人も夢を持ってがんばれると思うので、大事なことだと思っています。

頼れる“万屋”として、富山県人をサポート

若い人への発信はとても重要な役割ですね。

東:そうですね。発信の仕方を工夫して、これまでの活動を伝承していきたいですね。ここまで続いてきたのは、長い歴史の中でいつも各代表が活動について真剣に考えてくれたからです。

月刊誌でも継続して活動を発信して来ました。今年はあまり活動できなかったので、地元の高等学校や自治体の紹介、ふるさと納税のPRといった内容になっています。

▲昭和31年から継続して発行している月刊誌『富山と東京』。

東:東京富山県人会連合会には、富山に関わる人からいろいろな相談が来ますが、できる限りの対応をしています。まさに万屋(よろずや)のような存在ですね。

以前に、県のほうに中学生が相撲の行司になりたいと相談があったそうで、でも県ではどうすればいいかわかない。それで、私のところに電話が来ました。

朝乃山とのつながりがあるので、高砂部屋に頼んでみたら、「門は狭いですが、未来ある子どもの望みであれば」と二晩泊めて世話をしてくれました。その後、子どもからは感謝の手紙をもらいましたね。

本当にいろいろな相談にのっていますね!富山の人にとって、とても心強い存在だと思います。

東:首都圏で悩んでいる人はいっぱいいるので、その仲介役として手助けに入ったりしています。将来的には私のポジションの後継者が育っていくとうれしいので、若い人に向けてもまだまだ発信を続け、盛り上げていきたいと思います。

取材を終えて

事務局長でありながら、自ら地元文化の伝承や学生への研修を実践する東さん。地元への愛と情熱が周りにも伝わり、東京富山県人会連合会がここまで大きく発展を続けてきたのだと思います。都心で暮らしていても、故郷と自分を結びつける存在があるのは心強いことであり、地域の発展のためにも、つながりを持っていることはとても大きな意味があるのだと実感しました。

▼東京富山県人会連合会HP
https://www.toyamakenjin.tokyo/