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「旅をしながら人の背中を押す」脱東京&地方移住を経てたどり着いた、定住しない移住のカタチ

「旅をしながら人の背中を押す」脱東京&地方移住を経てたどり着いた、定住しない移住のカタチ

「旅をしながら人の背中を押す」脱東京&地方移住を経てたどり着いた、定住しない移住のカタチ

みなさん、こんにちは。福岡を中心に多拠点生活をしている阿部昭彦です。

脱東京&地方移住を実現したくて地域おこし協力隊になったのですが、紆余曲折の末に『定住しない移住のカタチ』に気づいてしまいました。こんな私の話にしばらくお付き合いください。

阿部昭彦(あべ あきひこ)

1963年2月 神奈川県横浜市出身。在学したすべての学校に「横浜」がつくのが自慢。大学卒業後は東京の私立中高で国語科専任教諭として29年間勤務し50歳を機に退職。日本橋から三条大橋まで東海道を歩く道中で、これからの人生は地方を元気にする活動に取り組むと決心。福岡県柳川市の地域おこし協力隊として商店街活性化を担当。現在は現役協力隊のサポートと並行してSDGsの普及活動を展開。多拠点生活者。演奏歴40年のベテランベーシスト。好きな言葉は「イエスアンド」。

日本のまちづくりって間違っている!!

「分け入っても分け入っても青い山(種田山頭火)」とは言いますが、まさか歩いても歩いても食べ物なしとは!!
東京の日本橋から京都の三条大橋まで旧東海道を自分の足で歩く道中のこと。お腹が空いてもごはんが食べられるお店になかなか出会えません。食堂もコンビニも見当たらない昔の表街道。
「みんなどうやって暮らしているのだろう?」
その答えはバイパスにありました。道幅の狭い旧街道に並行して整備されたバイパスに沿って、大型量販店、コンビニ、ファーストフードが並びます。かつて宿場として栄えたまちの人たちも牛丼を食べるためにバイパスまで車で出かけます。こんな風景が500kmも続いているのです。
「どこか間違っていないかな、日本のまちづくりって」
これが私と地方との出会いでした。
そして【地域おこし協力隊】として縁もゆかりもない柳川に行くことになります。

カエルの声で寝られない快感

柳川での暮らしが始まった6月下旬。家財道具も揃いきらずガランとした部屋に布団を敷いて電気を消すと一瞬の静寂のあとで聞こえてきたのはカエルの大合唱でした!!
うるさくて寝られない!!(^_^;)
ウトウトとしては目がさめるを繰り返しながら「こういう夜は小学校の時以来だな」と懐かしく思い出していました。親戚の家に泊まりに行って、同い年の従兄弟とバカ騒ぎしながら布団を並べた寝たあの頃。
「うん、これはいいぞ!」
翌日は近所を散歩。掘割のまち柳川は小さな水路が縦横無尽に流れています。そのほとりを歩きながら、生きていることを実感している自分に気がつきました。
速くもなく遅くもなくただただゆっくりと目の前を流れる掘割。生きるってこういうことでいいのではと、まちが語りかけてきたようでした。柳川に移住を決めて本当によかった!!

妄想がリアルとして走り出した

協力隊として活動していたある日、商店街の空き家を利用して近くの高校の文化部発表会を開くという話が舞い込みます。会場となる空き家に足を踏み入れてみると、奥行き32mの長い土間の向こうから光が射し込んでいます。
「なんて素敵なんだろう。この建物にもう一度日の目を見せたい!」
それからというもの、会う人ごとに「この建物をなんとかしてよみがえらせたい」と言って回りました。そうすると思いは伝わるものです。「一緒にやりましょう!」と手を挙げてくれる人が2人現れました。1人はボランティアで内装工事をしている人、もう1人は大学院で建築を学んでいる人でした。幸運は続くもので、ぴったりのタイミングで、柳川市が先行型の地方創生特別交付金を国から得ることができました。こうして私の妄想が形となって動き始めます。

まちを遊ぶのが仕事

専門業者に外注した工事以外にかかった費用は材料費だけ。人件費なし、すべてDIYで完成させた『コラボレーションスペースKATARO base 32(カタローベースサンジュウニ)』は2015年12月26日に晴れてオープン。


建築が専門ではない私が活躍するのはここから。どのようなコンテンツを入れてどのように回していくのか、地域おこし協力隊としての力量が試されるところです。
でも知り合いもほとんどいないまちでどうすれば人が集まる場が作れるのでしょうか?
一生懸命に考えてたどりついたのは「人は楽しそうなところに集まってくる。だからまず自分がとことん楽しんで、それを見てもらおう」という考え。つまり柳川のまちを徹底的に遊ぶことが私の仕事ということです。
素敵なお店を集めてマルシェを開いたり、近隣では観られない単館系の映画会を開いたり、音楽ライブを開催したり、たまにはカレー屋のオヤジをやってみたりなどなど。おとなのための『夜の卓球部』は参加者の熱気が半端なかったですね。
自分があちこち飛び回りたいから導入した『日替わりカフェ』の効果もあって、稼働率ほぼ100%で回っていきます。近隣から視察で訪れる人も多く『バケモノ』というありがたい言葉もいただきました。


KATARO base 32を通じての出会いから、商店街に新しいお店が2つ生まれるお手伝いもできました。どちらも今では柳川のまちになくてはならないお店として、大勢のお客さんに愛されています。

大好きな柳川と距離を置くことに

協力隊の卒業後もそのままKATARO base 32を拠点として活動していこうと考えていたのですが、残念ながらその思い通りにはいきませんでした。任期の3年で結果を出さなくていけなかった私は、まちの変化を急ぎすぎてしまったようです。
本来であればまちの人たちとお茶でも飲みながら顔の見える関係を築くべきだったのでしょう。時間のかかる部分を敬遠したのは失敗だったのかもしれません。
「よそから来た変な男がいつも同じ仲間を集めておかしなことをしとる」
イベントなどをやればやるほど地域との距離が開いていくジレンマに陥りました。苦しんだ末に出した結論は、私がKATARO base 32を去ることでした。
KATARO base 32そのものはまちに必要な場です。顔が変わればこれからもきっとまちの人たちに愛されることでしょう。そう信じて商店街の方々にバトンをお渡ししました。

定住しない移住のカタチ

柳川から距離を置くことになって、あらためて気づいたことがあります。
「一つ所にどっしり根を下ろすよりも、旅するように暮らしたいんだ」
これには自分自身がハッとしました。東京を脱出して定住する先を求めて柳川に来ましたが、実は『定住しない生き方』を私は探していたのです。
好きな時、必要な時にそこに行くこと。柳川にいたい時は柳川にいるけれども、ほかの場所にいたい時にはそこに出かけていきます。シンプルだけどなかなかできないライフスタイルですね。でも、私はこういう生き方がしたかったのです。
定住したかったけれども、地域に入れずにそこを去る協力隊は少なくありません。しかし私のような考え方ができれば、定住はしないけれども、その地域と関係を保ち続けることは可能です。
定住しない移住のカタチは間違いなくあります。

旅するように暮らしています

旅するように暮らしながらどんな仕事ができるのでしょうか。お金を稼ぐためにしたくもない仕事をする気はまったくありません。
世の中に必要とされていること。
これをすれば喜んでくれる人がいること。
自分の強みが発揮できること。
模索しながら現時点では3つのことをしています。
1つ目は現役協力隊のバックアップ。協力隊OBとして、あるいは人生の年長者として自分の経験からノウハウを若い世代に共有しています。

2つ目はSDGsの普及活動。持続可能な社会のために必要なSDGsの考え方を、カードゲームを通じて楽しみながら体験するイベントを開催しています。

3つ目は『マイクロブックレット』の制作。自分ではなかなか語れない思いや足跡を「私があなたのストーリーを語って小さな本にしましょう」というサービスを提供しています。

今までを振り返ってみると『人の背中を押すこと』が得意でした。学校でも地域でも目の前の人の背中を押して押して押してきました。
「これからも人の背中を押していこう」
これがあべべです。
みなさん、どうぞよろしくお願いいたします。

▼阿部さんの取り組む『地域おこし舎』の情報はこちら!

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