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地域おこし協力隊→起業。成功のカギは「信頼貯金」─熊本県阿蘇郡小国町

地域おこし協力隊→起業。成功のカギは「信頼貯金」─熊本県阿蘇郡小国町

地域おこし協力隊→起業。成功のカギは「信頼貯金」─熊本県阿蘇郡小国町

地方創生の目玉の一つとして導入された地域おこし協力隊。
任期を満了した隊員の6〜7割が、活動していた地域に定住する反面、任期満了前に去る隊員も多く、実際には約半数が定住を果たせていないとも言われています。

実際に任期を満了した協力隊卒業生のインタビューをお届けするこのシリーズ。
今回は、熊本県阿蘇郡小国町の協力隊を卒業した高田直木さんのお話です。
東京のIT企業から福岡県八女市星野村の地域おこし協力隊に転身、その後、小国町でも協力隊として活動し、そのまま定住を成功させています。その紆余曲折を伺いました。

高田直木(たかたなおき)

1973年神奈川県産まれ、神戸育ち。 株式会社NTTデータにて金融系の企画部門に就職し東京へ。 退職後、縁もゆかりも無い福岡県へ移住し、八女市星野村「地域おこし協力隊」の活動を経て、熊本県阿蘇郡小国町でも協力隊として活動した。 2019年6月末に卒業し、任期中に起業した「阿蘇小国 山川工房」を生業としている。 現在の業務内容は、レーザー加工(木工)及び地域団体の事務局の仕事を請け負っている。家族は妻と男の子3人と犬一匹。

山川工房ホームページ

IT企業から地域おこし協力隊というのは随分と飛躍がある転身でしたね。

東京でずっとIT企業のサラリーマンをやっていましたが、仕事がハードで身体を壊してしまったんです。
いろいろ工夫をしましたが、最終的にはその会社を辞めることになりました。
東京で転職を考えたのですが、そのときの体調ではなかなか難しくて。

ちょうどその時に東北の大震災がありました。
自分の回りでも、西日本方面への人の流れがけっこうあって、とりあえず自分たちも地方に行こうかという話になりました。
実家が神戸だったのでそれも考えましたが、神戸に戻ってその先どうすると考えるといい答えが見つからない。

1年ぐらいどこかの田舎に引っ越して静養すればという家族の勧めもあって、移住フェアに参加するようになりました。
ただ、地方に行くのはいいけれども仕事はどうしよう。
いくら地方でもぶらぶら遊んでいるわけにもいかないから何かしなくては。
でも、経験のある事務局系の仕事は地方には見当たりませんでした。

そんな時に地域おこし協力隊という仕事に出会うわけですね。

なかなかいい仕事が見つからず困っていた頃、長野の移住体験ツアーで地域おこし協力隊の人に会いました。
初めて聞く地域おこし協力隊という仕事。
隊員の方の話を聞いて、給料は安いけれども当時の自分でもできそうだなと思いました。

星野村に応募した理由ですが、九州は中学の修学旅行で阿蘇に行っただけだったんです。
知り合いも1人もいない。
でも、まったく知らない地域に行くのは逆に面白いかもしれない。(笑)

探してみると、JOIN(一般社団法人移住交流機構)の募集の欄に星野村の案件が出ていました。
業務内容は自然学校の指導員のサポート。
子どもたちとワイワイやりながら過ごす3年間もいいなと。
実際は活動拠点の指定管理が変わった影響で、自然学校は1年だけでなくなってしまうのですが。

星野村での活動はその後どうなったのですか。

自然学校の仕事がなくなった後は、九州北部豪雨の災害復興をやっていたNPOの方々と協力して、棚田復興とか都市農村交流などに関わるようになりました。
古民家を改修した移住体験・交流施設「ていちゃんげ」の開設にも携わりましたが、正直、お金にならないことばかりやっていましたね。

周囲からも「村のためになっていて協力隊の活動としては二重丸だけれども、これでは食べていけないね。」と。
生業になりそうな行政がらみの案件もあったのですが、残念なことに途中で立ち消えになってしまいました。
子どもたちが3人いる髙田家としては、この先の生活を考えると一定の収入が必要となります。

もともと3年間で決着をつける気持ちでいました。
東京に戻るなら戻るし、田舎で暮らせそうならそのまま残るし。

この後、小国町の協力隊になるわけですが、何かきっかけがあったのですか。

知り合いの製材所で働こうかと思っていた頃に「地域おこし協力隊九州サミット」というイベントで小国町を訪れました。
その会場となっていた木魂館(もっこんかん)の方から「よかったら小国に来ないか」と誘われたんです。

仕事としては、他の協力隊が進めている空き家バンクと並行して、移住希望者向けに仕事の発掘をやってほしいというものでした。
任期終了後の仕事も、提案してくれました。

小国という地域もとても面白いと感じました。
こんな風に誘ってくれる人もいて、いい仕事もある。
悩みましたが、もう一度場所を変えて挑戦してみようと考えました。

とは言っても、八女や星野村とまったく縁が切れてしまうわけではありません。
何かあったときにふらっと遊びに行けるつながりはまだしっかり残っています。

やはり人は大きなポイントですね。小国町ではどんな活動をされていたのですか?

小国町協力隊としてのミッションは木魂館を拠点にしながらの移住定住の支援です。
とは言え、毎日移住者が来るわけでもないので、木魂館の業務に携わる時間も長かったですね。

小国町ではここ数年、移住希望者の数自体が減っているように感じます。
東京の移住関係の団体では「移住希望者が増えています」と言っていて、確かに絶対数は増えているようです。
しかし、今では全国どこの自治体も移住受け入れをしているので、分散しているのかもしれません。

移住自体は都会の人たちにとって身近なものになってきています。
そして、これだけ多くの自治体でやっているとどうしても条件の良い地域を選ぶ傾向が強くなります。
引っ越し代を補助しますとか、家賃何ヶ月タダですとか、何かあげますとか。

こんな流れもあって、なぜ移住するのかよりも損得を先に考えてしまうような人が増えてきたのかなと感じています。
その点、小国町は特別なことはしていないので本当に住みたい人が来ているのではないでしょうか。

なるほど。移住を考える人たちにも変化が生まれて来たのかもしれませんね。小国町への移住を希望する方々は何を生業に考えているのでしょうか。

これは人それぞれですね。
サラリーマンをこれまでやっていて何か次の仕事をという方もあれば、現在、木工をされている方がその活動拠点を探しているというのもあります。
林業は超人手不足で困っていますよ。

移住定住のミッションの中でも仕事の発掘をメインでやっていました。
小国町仕事情報サイト『シゴツ』にも携わりました。
仕事や求人の情報を集めてくる人がいないので、地域おこし協力隊としてそれを担当していたわけです。

地方には仕事がないとよく言われますが、実際には超人手不足。
「人が足りないんだけど誰かいい人いない?」ってしょっちゅう言われます。
で、給料いくらですかって聞くと高卒初任給程度で。(笑)

それは厳しい。(笑)

特に熊本地震の後は人手不足が深刻で、それぞれの地域が取り合いをするような状況です。
小国町は地震による直接の被害はあまりなかったのですが、風評被害による観光客の減少により、やむなく従業員を手放してしまいます。
その人たちは生活のために新しい仕事に就くから、復興が進んだからまた来てもらおうと思っても、そう簡単な話ではないわけです。

熊本県内でも給与水準の差はあります。
小国町のような「中山間」では低いですが、給与だけではない生活を求めてここに来ている人が多いと思います。

震災の影響はまだいろいろなところに残っているのですね。ところで、移住定住ミッションの協力隊活動からレーザー加工の『山川工房』という形で起業するのは意外な展開でした。

実はものづくりは好きなんです。
どちらかというと人見知りするタイプなので、知らない人としゃべって交流したり対話したりするのは苦手。
それよりは1人で部屋にこもって何か作っている方がいい。

これまでやる機会がなかっただけで木工にはもともと興味がありました。
たまたま身近に教えてくれる人がいて、しかも材料も手に入りやすい。
生業にしようとしたわけではなく単に好きだから始めただけなんです。

だから最初は協力隊の活動ではなく勤務時間外でやっていました。
そのうちじわじわと僕の作った看板があちこちに出回るようになって。
少しずつ収入にも結びついてちょっと生業にできそうかなと。
それで役場の方とも相談してこれを生業の一つにしていこうと決めました。
協力隊卒業時の起業支援金もここに投入する予定です。

※参考URL:「地域おこし協力隊で起業すると100万円もらえる!」のウソとホント

地方だと顧客を獲得するのがなかなか簡単ではない気がしますが。

『山川工房』は営業という感じの営業はしていません。
営業したくても、そもそも小国町は人口が7,000人と小さいしあまり意味がありません。

東京で勤めていた時、上司から最強のマーケティングは何かを教えてもらったことがあります。
それは口コミです。
例えば、化粧品を買うときに「新しいファンデーションが出たよ」というのが口コミで回っていくそんなイメージです。

協力隊の活動をしながらだったので、レーザー加工だけで食べていく必要はなかったから、じわじわと口コミが広がっていけば十分でした。
例えば店名をレーザー加工した看板をカフェのオープン祝いにプレゼントしたのですが、これを見た人が「欲しいな」と思ってもらえればいいかなと思って。
プレゼントした作品そのものが営業ツールになっているということですね。

そうこうしているうちに、お蕎麦屋さんから看板を作ってほしいと依頼が来ました。
仲の良い建具屋さんから材料を回してもらっているのですが、その代わりにこんなの作ってと頼まれてキーホルダーを作ったりもしています。
今ではインターネットを使った通販も検討しています。

小国杉の利活用というまちのベクトルにしっかりと沿っています。

僕が使っているのは端材なのですが木そのものはとても良いんです。
でも建具にできるわけでもなくて、今までだったら燃やしたりしていたものを僕が端材活用していると言う流れです。
間伐材の有効活用。
そこからスタートしてここまで来ました。

小国町は持続可能な社会の実現を目指す『SDGs未来都市』に認定されていますが、高田さんの取り組みはまさにSDGsそのものですね。ここはねらっていたのですか?

ただもったいないなあという気持ちから始めただけです。(笑)
製材所で木材を加工するとどうしても端切れが出ます。
また建具屋さんで障子とか襖を作る時もサイズより長い木を切って使うのでやはり端切れが出ます。
10センチ、20センチの端切れは結局使い道がなくて燃やしてしまいます。
とても良い木なのにもったいない、何か使い道がないかなと思った時にレーザー加工を思いつきました。

レーザー加工という切り口は小国町に協力隊として来てから見つけたことで、星野村にいた時は少しも考えたことがありませんでした。
仕事になるかどうかはわからないけれどもとにかくやってみよう。
このくらいの軽い気持ちで始めました。

これを仕事にするかどうかもわからなかったので最初は自腹を切って始めました。
今使っているレーザー加工機はヤフオクで25万円(中古)くらい。
奥さんに内緒で買って、後でたっぷり怒られました。
しかも機械が重すぎて運送屋さんが下ろせずに一度持ち帰るトラブル付き。(笑)

最近はファブラボを立ち上げたり、木工だけをやるような協力隊もぼちぼち出てきているようですが、協力隊の活動として認められるようになれば、それはそれで面白いかもと思っています。
まちとしては何をやってもいいけれどもみんなと仲良くして最終的にここに残ってくれればそれでいいわけですから。

ちょっと話が変わりますが、高田さんは3人のお子さんを連れての移住でしたが、子育てという点で地方のデメリットはありませんか?

東京から星野村への移住の時は、「ママも引っ越しちゃうよ?」で済みましたが、星野村から小国に行くときには子供も成長していて「まじか。オヤジ1人で行けよ」なんて。(笑)

地方のデメリットとしては選択肢が少ないというのがあると思います。
都会ではレベルに合っているとか自分のやりたいベクトルに沿っているとか、いろいろな学校の中から選ぶことができますが、地方ではその選択肢が非常に限られています。
その分、競争社会から離れてのんびり過ごすことができるわけですが。

それから近所に友達が少ない。
僕の子どもの頃のイメージは、地方の子はチャンバラごっこをやったりみんなでワイワイ騒いでいるという感じでしたが、実際に来てみると近所に誰もいません。
友達が少ないために、他の学年の友達と遊ぶことができるのは地方のメリットと言ってもいいかもしれません。

また、地方では実はドアツードアで移動していることが多いんです。
都会の子だと電車に乗って自分たちで何処かへ出かけることができるのですが、地方では出かけるというと車に乗るしかありません。
だから意外に地方の方が不健康だったりします。(笑)

お子さんがいるために移住に消極的だという声もよく聞きます。

移住にあたって子どものことが足かせになるということはあるかもしれませんが、来てみれば何とかなるところは多いと思います。
都会だと人がたくさんいて、先生の目がなかなか行き届きません。
星野村だと小学校は1クラス10人ぐらい、小国町でも25人ぐらいで副担任も付いているから、先生の目が届きやすいというメリットは間違いなくあります。

子どもは適応が早いから、新しい生活にすぐに慣れますよ。
僕の子どもたちに聞いてみても、どっちもどっちかなくらいの反応です。
都会がいいのはお店がいっぱいあって、遊ぶところもたくさんあるから。(笑)

ただし、田舎暮らしは都会に比べて給料が下がりますが、教育にかかるお金はどこに暮らしていてもたいして変わりません。
僕の子どもも少し離れた高校に進学したので寮生活をしています。
この点は気をつけておいた方がいいかもしれませんね。

子どもを連れての移住はデメリットばかりではないということですね。現在の生活はどのように感じていますか?

地方は閉鎖的だとよく言いますが、幸いにしてうちの家族はそう感じたことはありませんでした。
きちんと地域の活動・行事に顔を出しているので、そのあたりを受け入れてもらえたのではないかと思っています。
元々、お祭りや伝統行事に興味があったので、伝統芝居や神輿担ぎなどに参加させて頂いています。
地方は担い手不足なので、ヨソモノが溶け込むチャンスです。

現在の収入は、協力隊の給料+αくらいはもらえるようになりました。
でも個人事業主になったので、社会保険がすべて自己負担になった分が痛いです。
協力隊の時に役場が負担してくれていた家賃も払わなくてはいけません。
それを考えたら協力隊の時とたいして変わらないかもしれません。(笑)

奥さんがパートに出てくれて、扶養ギリギリまで働いてくれているから何とかなっているのかな。
長男が高校に通っていてお金がかかっているけれども、次男も外に出ることになればまたお金がかかるでしょう。
そうなったらどうしようかということは夫婦で話しています。

仕事はそれほど詰め込んでいないのでまだ余力がある感じです。
自分としてはこれくらいがいいのかなと思っています。
もうあんまりガツガツ働きたくないし。(笑)

2回、協力隊を経験して自分らしい働き方を見つけたということですね。協力隊として現在活動している人たち、あるいはこれから協力隊になろうとしている人たちにどんなことを伝えたいですか?

『信頼貯金』と言っているのですが、地方でヨソモノの協力隊が何かするととても目立ちます。
やりたいことを実現するために周囲の協力が必要となる場合、やはり信頼がないとできません。
草刈りでも何でもいいから地域のことを一生懸命にやる。
正直「なんでこんなことやってんだろう?」と思うこともあります。

それでもやり続けていると「あいつはなんかいいな」みたいに思ってもらえる。
『信頼貯金』が貯まってきたということです。
それで相談に乗ってくれたり応援してやろうかと思ってもらえるようになってきます。

いろいろな協力隊がいて、年齢も立場も違うのでどれが正しいということではないのですが、あまり自己主張ばかりするのはどうかと思います。
全然知らない人がやってきて「私、こんなことをしているので協力してください」と言われても僕だったら引いてしまう。
お前、誰?
お前のこと、信頼していいの?

協力隊の期間は『信頼貯金』を貯める時間なのだと思います。
ただ、難しいのは、同じことをしていても、とても評価してくれる人もいれば全然評価しない人もいるということ。

これだけ頑張っているのにこっちを向いてもらえない片思いのような関係。
そのうち、理解してくれないのは相手が悪いからだと思い始めて、役場と対立して、最後には「辞めます」になってしまう。

うまくいかないケースは割と思いの強い人にありがちなのではないでしょうか。
私はこんなことがやりたくてきたのに。
私はこんなに地域のことを思っているのに。
一歩下がって、地域が自分のことをどう見ているのか知ることは大切だと思います。

『信頼貯金』大切ですね。ご自身の活動を振り返ってもっとこうしておけばよかったというところはありますか?

最初はこれがやりたいということは正直ありませんでした。
自分も奥さんもまわりの人たちから「こんなことをやって」と言われたら素直にそれをそのままやっていました。

星野村でちょっと失敗したと思うのは、やってくれと言われたことを一生懸命やったけれども、それを生業につなげることができなかったこと。
協力隊としてはとっても評価してくれたと思っています。
残念ながら定住しなかったので最後に評価はガンと下がったと思いますが。(笑)

地域の活動をしながらもどこかで自分の生業と紐付けておきたいものです。
星野村にいた時は自分の手に負えないことまで手を出していました。
小国町に移ってからは「これはこの先も責任を持って続けていけることなのか」と考えるようになりました。
そして無理だと思ったら最初から受けないようにしました。

例えば、星野村の移住体験施設『ていちゃんげ』を一生懸命になって立ち上げたけれども、移住体験住宅なので収入がほぼ得られない。
そこでは自分は食べていけなかったわけです。
まわりの人はみんな僕が管理人をすると思っていたのに。
最後はNPOの方々に丸投げになってしまって本当に反省しています。
ボランティアでは食べていけないわけで、そこの線引きはやはりきちんとしておくべきだったなと。
今でもNPOの方々に活用して頂いているので感謝しています。


星野村と小国町の2つの地域で協力隊として活躍した高田さん。現在はレーザー加工『山川工房』の他に、地域団体の事務局の仕事も行っており、小国町を盛り上げています。星野村の皆さんとの温かい交流も続いています。高田さんの信頼貯金はまだまだ貯まっていきそうですね。

阿蘇小国 山川工房ホームページはこちら
https://www.yamakawafactory.com/

 

 

インタビュー:阿部昭彦(fledge公認アンバサダー)

プロフィール:阿部昭彦
東京で29年間、国語教師として勤め早期退職。
東海道を自分で歩く旅の最中、宿場町が寂れている様子に地方を元気にする活動に取り組むと決心。
福岡県柳川市の地域おこし協力隊として空き店舗をリノベしたコラボレーションスペースを立ち上げまちに新しいコミュニティを創造した。
現在は「地域おこし舎」(http://chiikiokoshi.jp/)として①SDGsワークショップ②マイクロブックレット制作③各種講演を行なっている。
東京・福岡・沖縄の多拠点生活者。演奏歴40年のベテランベーシストで。好きな言葉は「イエスアンド」。