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【移住者インタビュー】「地域おこし協力隊」から移住したワケ─福岡県大川市

【移住者インタビュー】「地域おこし協力隊」から移住したワケ─福岡県大川市

【移住者インタビュー】「地域おこし協力隊」から移住したワケ─福岡県大川市

地方創生の目玉の一つとして導入された地域おこし協力隊という制度。

都市圏への集中を緩和し地方の活性化を促す施策で、平成30年度には全国で5,000人以上の協力隊が各地域で活動しています。

総務省の統計では、任期を満了した隊員の6~7割が、活動していた地域に定住しているとなっています。

その反面で、任期満了前にその地域を去る隊員も多く、実際には約半数の隊員が定住を果たせていないようにも見受けられます。

そこで、実際に任期満了して定住を実現した協力隊卒業生のインタビューをシリーズとして毎月お届けし、どのようにして定住を実現したのかについて、ヒントを見つけていきたいと思います。

第1回は、福岡県の南部、大川市で定住を成功させた市田里実さんにお話を伺いました。

さとみん 市田里実(いちださとみ)

東京都荒川区出身。日本大学芸術学部卒業後。世界文化社を経て、フリーランスの編集者&ライターに転身。女性ファッション誌から男性ファッション誌、料理専門誌など、さまざまな媒体で執筆をする。2014年福岡県大川市に家族で移住し、地域おこし協力隊に就任。3年間の任務終了後は、STAR GIRL株式会社を設立し、広告&編集の仕事を手がけている。2017年3月には、女性でも子供でも楽しめる居場所を作りたいと「コミュニティスナックさとみん」をオープンし、さまざまなイベントを開催している。

 移住を考えたきっかけは東日本大震災だそうですね。

ちょうど子どもが5ヶ月の頃に東日本大震災がありました。

TVのニュースで「水道水を飲まないで」との報道があり、すぐに水を買いに行きましたが、スーパーにもコンビニにも水がありませんでした。

やっと見つけたと思ったら、目の前でおじさんがパッと取って行ってしまって。子どももいるのにどうしようと、本当に困りました。 

この時に東京の限界を感じましたね。同時に世知辛いなあとも。

江戸っ子のおばあちゃんから、戦時中には着物を持って郊外に行ってお米に変えてもらったという苦労話も聞いていたので、もしかしたら東京は暮らしていくには厳しいのかもしれないと気づきました。

その後、旦那さんのご実家に一度移られますね。

 神奈川県海老名市にしばらく引っ越しました。

でも、子どもが遊ぶ公園の砂や食べ物の汚染が気になり、測定器を持っている知人のところで測定してみると、残念ながら放射性物質が検出されてしまいました。

役所に対応をお願いしたのですが、「国の基準値以内なので」と言って何もしてくれません。そうは言っても、子どもを外で遊ばせないわけにもいかないし、食べ物だって食べなくてはいけません。

安心して子どもを育てたい、子どもの将来に親として責任を持ちたいと、移住をより真剣に考えるようになりました。

 

大川を移住先として考えたいきさつを教えていただけますか。

その頃、旦那も、勤めている会社の仕事内容に疑問を感じていました。

施工管理の担当となり、始発で行き終電で帰る毎日が続き、子供の寝顔しか見られない状態でした。

もっとゆったり暮らしたいと、移住について夫婦で考えるようになりました。

いろいろ調べている中で出会ったのが、福岡移住計画が募集していた移住体験でした。

大川市で3ヶ月働きながら移住体験ができるトライアルステイで、給料もちゃんともらえます。家具の名産地として大川の名前は知っていましたが実際に来たことはなかったので、とりあえず行ってみようと参加しました。

来てみると、何も気にせずに公園で子どもを遊ばせられるし、スーパーの食べ物はほとんどが九州産。

東京ではベビーカーで電車に乗ろうとすると舌打ちされるのに、大川ではうどん屋で子どもが泣いても「よかね、子供の声は。おばちゃんが抱っこしとうけん、うどん食べんね」と温かく接してくれます。

こういうところでのびのびと暮らした方がいいねと夫婦で納得して、また東京に戻りました。

 そして地域おこし協力隊になるわけですね。 

大川に移住して家具職人の仕事をするにしても、工場を借りたりなどいろいろ準備が必要で、最初からうまく軌道に乗るとは思えませんでした。

そこで、私が大川市の地域おこし協力隊になって、3年間勤めることができれば食べていくことはできるし、その間に旦那の仕事も回るようになるだろうと考えました。

応募してみると幸いにも採用となり、私が働きに出て旦那は専業主夫をしながら開業準備をするという形で移住が実現しました。

とは言っても、最初から「ずっとここに住み続ける!」覚悟を持っての移住というよりは、ダメだったら帰ればいいね!くらいの軽い気持ちでしたけれどね。(笑) 

地域おこし協力隊の仕事はどうでしたか。

私たちのミッションはシティセールスでした。シティセールス課に配属され係長の下に、協力隊の女子が2名という形でスタートしました。

職員の皆さんはとてもいい人ばかりでしたが、協力隊というよりは普通の職員さんと同じような扱いでした。

私たちも協力隊というものをよく知らないので、それが当たり前だと思って毎日働いていました。市役所に出勤して電話を取ったりして(笑)。

ある時、外部の研修に参加して他の協力隊から話を聞いて「えっ?協力隊ってそういうことをするの?」とビックリしました。

担当の職員さんに相談したところ、すぐに活動費や待遇などについて改善してくれて、そこからは本当に自由に協力隊らしく活動させてもらいました。

私はしたいことがあって協力隊になったわけではなかったので、目の前の仕事を一生懸命に、そして楽しむことを心がけました。

「職員みたいな仕事をしているね」と他市の隊員さんから言われることもありましたが、自分がいいと思ったこと、楽しいと思ったこと、素晴らしいなと思ったことなどを、SNSを通じて大川の魅力を発信し続けました。

大川の皆さんは、SNSをけっこう見てくださっていて、「そんなところがいいんだ」「そう言ってもらえて嬉しい」などなど、たくさんの反応をいただきました。 

私というヨソ者の目を通じて、大川の人たちが大川の良さにあらためて気づいてくれたのは、私に取ってもすごく嬉しいことでした。

大川市への愛が強いですね。 

地域おこし協力隊在任中、地域活性化について学んでいる大学生が卒論取材に来てくれたことがあるのですが、最後に「実は大川出身なのですが、そのことが恥ずかしくて」と打ち明けてくれました。

筑後弁が恥ずかしいとか、家具のまち出身なのに木材について聞かれても答えられないとか。この時に、ふるさとを誇れない若者がいることはとても悲しいことだと感じました。

私の子どもたちも大きくなったらきっと大川を出ていくだろうと思いますが、その時に「大川という素晴らしいところで生まれたんだよ」と言えるように成長してほしいですし、そんな「まち」にすることが私たち大人の仕事かなあと思います。 

協力隊の任期の上限は3年ですが、任期を終えた後のことはどう考えていましたか。

私は特にこれというスキルもなくて、ライターと編集の仕事しかできません。

任期終了後はその仕事をしていきたかったので、いろいろと動いてみました。

異業種交流会にも参加して、そこで出会った方からライターの仕事をいただくということもありました。

3年間の協力隊活動の中で培った人脈も大きな支えになりました。中でも大川活性化協議会との出会いはありがたかったですね。

そのご縁から大川のフリーペーパー「よるばいおおかわ」編集の仕事をいただいています。

自分の好きな地域で、自分のやりたい仕事ができているのは本当に嬉しく思っています。

今は任期の2年目くらいから卒業後の収入をどうするかを考えるようにアドバイスされている協力隊が多いようですが、それについてどう思いますか。 

確かに食べていかなくてはいけないので、仕事をどうするかはとても大事だと思います。

でも、あまり卒業後のことばかり追っかけていくと、うまくいかないような気がします。例えば、「今、協力隊として取り組んでいる活動が、卒業後の仕事に結びつかない」と思ってしまうと、活動そのものが無駄なものに思えたりしてしまうこともあるでしょう。 

卒業後に向けてしっかりとプランニングをすることも大切ですが、3年間、協力隊の活動に一生懸命に取り組んでいれば、自然と道が拓けてくるように思います。

まわりの協力隊卒業生を見ても、一生懸命に頑張っていた人は、困ったことがあると地域の皆さんが助けてくれています。

はじめから算盤ばかりはじいている人は、それが地域の人たちにも伝わってしまうのではないでしょうか。

損得勘定抜きに地域のために頑張っている姿を見てもらうことが大事だと。

「頑張る」というよりも、「地域を楽しむ」という感じでしょうか。

ですので、よく言われることですが、地域の行事に参加することを、私はとても大切にしていました。

「地域の人と同じ時間を楽しみたい」という思いから生まれたのが、同期の協力隊と企画した「駄菓子ナイト」です。

月に一度、大川市内の家具のショールーム、カフェなど、さまざまな場所を会場にして、お菓子を食べながらおしゃべりをするんです。

子供や女性にも楽しんで欲しいので、あえて「駄菓子」と銘打っているのですが、なぜかお酒が大量に集まってしまって、毎回楽しい飲み会になるんですが(笑)。 

ここには地域おこし協力隊に興味のある人が寄って来てくれて「なぜ大川に来たの?」と聞いてくれます。

こうした会話の中で、なぜ自分が大川に来たのか、大川に対してどう感じているのかを地域の人たちに理解してもらえたように感じます。

「居場所」が必要!という思いはずっとあり、2018年3月には「コミュニティスナックさとみん」をオープンしました。

女性や子ども、アルコールが飲めない人も集まれるスナックです。

カウンターに立つのは、私だけじゃなく、日替わりのママやパパが立ちます。

ワークショップやマッサージもしたり、たくさんの人が楽しめる場所になっていったら嬉しいなぁと思っています。

今の協力隊を見ていて感じることはありますか。

最近は志もスキルもある隊員が増えていて、素晴らしいなぁと感動しています。

でも、あまり「こうしたい」という思いが強すぎて地域の方とうまくいかないという悩みも時々うかがいます。

都会での経験や視点はとても大切ですし、地域の役に立つこともたくさんありますが、そのままそれを伝えても地域の人たちにはまったく響かないということはよくあります。 

また、私の頃と比べて国や自治体での受け皿も整備されて、各地で研修を通じた協力隊同士の交流も盛んに進んでいます。

これ自体は良いことですが、協力隊同士の交流ばかりに目が向いてしまって、自分の地域に入りきれていない人もいるように感じています。 

また、あくまでも協力隊は公務員です。

だからこそ地域の人たちの中には「税金で食べている」という目で見ている人もいるので、それを理解して節度ある行動を心がけることは大切です。

そして、地域での理解を深めるために、自分の思いを伝え、何をやっているのかを見てもらう機会を設けて、しっかりとアピールすることが大切ではないでしょうか。

何はともあれ協力隊の仕事に一生懸命に取り組むということですね。

本当にそこに尽きると思います。優秀な人、高いスキルを持つ人ほど、それに寄りかかりすぎて地域を置いて行ってしまいがちな気がします。

協力隊の仕事に一生懸命取り組むこと、全力で楽しむことをしていたら、必ず見ていてくれる人がいるし、地域が受け入れてくれるのだと思います。

インタビューを終えて

定住のカギは「楽しむこと」と語る市田さん。持ち前の明るいキャラクターと、相手が誰であれフラットに接することができる懐の深さも彼女の魅力に違いありません。きっとこれからも大川のまちにたくさんの笑顔を咲かせてくれることでしょう。

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コミュニティスナックさとみん

STAR GIRL株式会社




インタビュー:阿部昭彦(fledge公認アンバサダー)
阿部昭彦プロフィール
東京で29年間、国語教師として勤め早期退職。
東海道を自分で歩く旅の最中、宿場町が寂れている様子に地方を元気にする活動に取り組むと決心。
福岡県柳川市の地域おこし協力隊として空き店舗をリノベしたコラボレーションスペースを立ち上げまちに新しいコミュニティを創造した。
現在は「地域おこし舎」(http://chiikiokoshi.jp/)として①SDGsワークショップ②マイクロブックレット制作③各種講演を行なっている。
東京・福岡・沖縄の多拠点生活者。演奏歴40年のベテランベーシストで。好きな言葉は「イエスアンド」。